シシリーナの元・吸血姫-2
ソフィアが帰国しても、祝いのパレードはすぐに行われなかった。
イスパニラ王が急な病床についてしまったからだ。
そして床から起き上がった後も、もはや別人のように老け込み、一切の執務をリカルド王太子に任せ離宮へ引きこもってしまった。
……この辺りは、王家の人間と一部の側近しか知らぬ事情だ。
公爵の件も王家のスキャンダルを防ぐために、全ては「何も無かった」事にされている。
それでも、植民地は厳しい実態調査の結果、腐りきった支配を叩きなおされる事になった。ラヴィの故郷もその一部だ。
そして投獄された将軍の中に、本来なら夫になるはずだった男の名があった事を、ラヴィは知らない。
バーグレイ商会がソフィアを救った件は極秘とはいえ、相応の報酬が支払われた。また隊商の人間達は一番良い宿に招待され、王都での休暇を満喫している。
ルーディがその滞在宿に行ったのは、今回の件での後処理のためだったが、それだけでは済まなかった。
「個人的に頼みがあるんだ。勿論、報酬は支払うよ。」
アイリーンにそう持ちかけられた時は、少々面食らった。
このきっぷのいい姐さんとは、けっこうな付き合いの長さだが、個人的な頼み事など初めてだ。
バーグレイ商会の女首領は、籐の椅子にゆったり腰掛け、愛用品の煙管で紫煙をふかしている。
「今回の件は世話になったし、姐さんの頼みなら、何でも聞きたいけど……」
「真冬になったら、フロッケンベルクの王都へ行って、人探しをして欲しいんだよ。アンタなら雪山を越えられるし、もうあそこへ行っても大丈夫だろう?」
「そりゃ……でも、誰を?」
「探して欲しいのは、アンタのお師さまだよ。」
ルーディは何人かの錬金術師から教わったが、「お師さま」と呼んでいるのはただ一人。
ヘルマン・エーベルハルトだけだ。
「へ?だってお師さまは……」
「うちとフロッケンベルクの連絡役は、もう別の人間なんだ。錬金術ギルドにも取り次いでもらえないし、引越しまでしちまったらしくてね」
そして、少し憂いを含んだ顔でふうっと煙を細長く吐き出す。
もう若くはないが、彼女は間違いなく“イイ女”だ。特にこういう顔をしている時は。
「サーフィには今回、頑張ってもらったしね。アンタはあの子に借りがたんまりあるだろう?返したいなら、何も言わずに引き受けとくれ」
探り当てた人狼たちの住処に『殴りこんで』ルーディとラヴィを助け出してくれたのはサーフィだったと、後から聞いた。
確かに、彼女はルーディとラヴィの命の恩人になる。その他、色々な意味でも恩人だ。
「でも、一体どうして……」
煙管を口に咥えたまま、ジロリとアイリーンはルーディを睨んだ。
「余計な質問は無し」
「……はい」
「それから、探してるのがアタシだって事も、ヘルマンの旦那には内緒だ。もっと言えば、旦那に絶対気づかれないように探っとくれ」
「うっ……お師さま相手に、それは難しいかも……」
「はぁっ!?何言ってんだい!あんたは諜報のプロだろう!!!」
ビシッ!と言葉の鞭が振り下ろされる。
狼の姿だったら、間違いなく耳はヘニョンと垂れてしまっただろう。
「すいません!やります!」
ああ。最近、ラヴィ以外の女性からは、ロクな目に合わされない……
「来年の夏には、うちの隊商も王都にいくけどね、その時には旦那だって用心してるだろう。だから、真冬のうちに探って欲しいんだよ」
「…………」
真冬の森を密かに抜けて探りにいけるのは、ルーディだけだ。しかも諜報員として腕のあがった今なら、人探しくらいどうという事は無い。
ヘルマンがバーグレイ商会からここまで逃げる理由を知らないまま、こんな事を引き受けるのは、少々気が引けるが……。
――――お師さま、すみません。
国王をして、「世界で一番、敵に回したくない男」、と呼ばれた師に、心の中でルーディはわびる。
しかし、アイリーン・バーグレイは、「世界で一番敵に回したくない 女 」なのだ。
そして野生の世界では、いつだって真の強者はメスと、相場が決まっている。