15-1
廊下から足音が近づいて来た。浩輔だった。まだ涙目のままの泉を見て苦笑した。
「高橋先生に話をして、今日は泉ちゃんの体調が悪いから、送って行きますって言っておいた。郁ちゃんにも言っておいたから」
だから帰ろう、と画鋲の入った箱を教壇に置くと、泉の手を引き、机に誘導した。泉はゆっくりと自分の鞄を手に取り、肩に掛けた。溢れる涙をハンカチで押さえながら、とぼとぼと歩きだす。
初秋の冷たさを含んだ風が、泉のポニーテールを揺らす。時々彼女の横顔を見ながら、浩輔はこれで良かったのかと考えた。すべてを知りたいと言った彼女に、全てを話して良かったのだろうか。彼女の中に、彼女には必要のなかった葛藤を生み出してしまっているのではないか。止まる気配を見せない彼女の涙に、そんな事を考える。無言のまま、駅に着いた。
ホームに立っていると、少し気分が落ち着いて来たのか、泉は鼻をすする事がなくなった。相変わらずハンカチで時々目を押さえているが、浩輔は少し胸を撫で下ろす。
電車が右奥から走ってくるのが見えた。向かい側のホームには、回送電車が猛スピードで通過していく。
「あ」
一瞬の事だった。彼女の手から回送電車が生み出す風に乗ってハンカチが飛ばされた。それに気づいた浩輔が手を伸ばした時、ホームに入ってきた列車の前部に浩輔の頭と肩がぶつかった。浩輔は跳ね飛ばされ、数メートル先に転がった。
「こう君!」
ホームにいた人間が騒然として見ている。走って浩輔の元に行くと、うつ伏せの彼はハンカチを握ったまま倒れていた。血が流れている。背中を見ると、呼吸をしている事が分かった。
駅員が駆けつけ、状況を確認すると「今救急車呼ぶから、君、ここにいてくれる?」と駅員に言われた泉は、震える声で「はい」と答えた。もしかしたら駅員には声が聞こえなかったかも知れない。別の駅員が走ってきて、泉の横に立っている。
「あ、生きてた」
急に聞こえた浩輔の声に「へ?」と突拍子もない声をあげた泉は「大丈夫? 今救急車来るから」と顔を覗き込むようにして言った。駅員は階段の下に向かって「意識あったぞ!」と叫んだ。停車したまま動かない列車からは、乗客が顔をだし、口々に何かを言っている。
「はい、これ」
浩輔の手に握られたままだったハンカチを、泉に手渡す。
「こんなの、飛ばされても良かったのに......」
ハンカチに刺繍された、少しいびつな「IZUMI」の文字を指でなぞった。
「手縫いで刺繍してるハンカチなんて、大事なハンカチなんでしょ」
うつぶせのままで「イテテ」と言いながら浩輔はキョロキョロと周りを見渡した。救急隊が担架を持って階段を上ってきたのはその時だった。