8-1
泉はからあげ弁当をつつきながら、先程の光景をぼーっと思い起こしていた。
ためらう事無く伸ばされた白い腕。見惚れていたらあっという間に目の前の事象が片付いていた。誰が悪いわけではない、あの爆竹の音に驚いた日野明菜が、瞬時に腕をぶつけてしまうという「事故」だった。それを率先して収束させに行った。加えて、自分の昼食を半分分けた。全然押し付けがましくなく。
一連の動作に口が開けなかった。蒸し暑い教室の中で、顔色一つ変えずに涼しげな顔でやってのける浩輔に対して沸いたこの胸のざわつきが何なのか、分かっていたが泉は気づかぬ振りをした。
爆竹は、一年生の不良達がわざわざ二階におりてきて仕掛けたらしい事が後日分かった。
郁美は「暇人だな」と一蹴し、それを聞いた大輔は「そう言うやつに限って部活とかやってなくてさぁ、ストレスが発散できないでいるんだよな」と知ったような口をきいた。
「それがさ、部活やってたんだよ、そいつら。何部だと思う?」
春樹が身を乗り出して大輔と郁美の顔を交互に見ると、彼らは「うーん」と唸って考えた。
「正解はバスケ部でした。退部処分になりました」
大輔も郁美も顔を見合わせて「まじでか」と驚いていた。泉は「男バレは大丈夫?」と浩輔に訊くと、「大丈夫でしょ、あれだけ厳しければ」と、目を細めた。
水曜はバレー部は休みなので、何もなければ大輔、浩輔、泉の三人は一緒に下校するのだが「今日、日野さんに呼び出されてて」と浩輔は言い、先に帰るように告げた。
昇降口の庇から一歩外に出ると、強烈な日差しが肌を刺す。
「暑い、てか、痛い」
泉は持っていたハンカチを頭上に乗せて歩き出した。
「二人で帰るのって、結構久々じゃね?」
大輔は足取りも軽く、ツーステップをしながら泉の顔を覗き込むので「暑苦しい」と泉にあしらわれる。
「確かに、こう君が転入してから、三人で帰る事が多かったもんね」
泉は暑さから逃れたくて、駅まで早足で進む。大輔は鞄からふたつのうちわを取り出し「朝、配ってたやつ」と片方を泉に渡した。
「お、サンキュ」
二人してパタパタ仰ぎながら、やっと冷房の効いた電車に乗り込んだ。
「ふへぇー、生き返る」
脚を投げ出して座る大輔のスニーカーを横から蹴って「死んでたの?」と泉は顔を覗き込む。
「お前、一言多いんだよな。そういう所が無ければ俺の彼女にしてやるのにな」
泉は、ふんと鼻で笑い「随分上から目線だね。して欲しくなんてないね」と言い返す。
暫く、冷房と扇風機の風にあたり、汗が引くのを待つ。有名私立の小学生が、かっちりとした制服に制帽を被って立っている。幼稚園からお受験か。自分たちもつい一昨年に「お受験」をした事を思い出す。
車窓を流れる景色を見ながら、何の前触れも無く、唐突に「お前、こう君の事、好きなの?」と大輔は訊ねた。
あまりにも唐突過ぎて反応する機を失った泉は、うろたえて「へ? は? 何?」と声にならない声を出す。
「何かにつけて一緒にいるし、喋ってるし、この前は凄い剣幕で庇ってたし、もしかしてそういう気があるのかなぁと思ってさ」
投げ出していた脚を組み、腕組みをして視線を泉の方へ遣る。「どう?」
同じように腕組みをして脚を組む泉は少し俯いて「好きだけど、そういう好きじゃなくて、みんな好きだし」とはぐらかす。
胸のざわつきの事は勘違いであったと、泉は自分に言い聞かせる。
「じゃぁまだ俺にもチャンスはあるって事だよな?」
大輔は心の中を微塵も隠さないで言うので、泉は彼の言う事を本気とは捉えていない。
「はいはい、勝手にしなさい」
泉は鞄の中からミントガムを取り出し、一枚を大輔に渡しながら言った。
「そういや今日、日野さんに呼び出されてるって言ってたよね、こう君」
大輔はガムの包装紙を解いて中から板ガムを引出し、口に入れた。紙を無造作に丸めて、左右の手で転がす。
「それそれ。やっぱり告白かなぁ。この前の件で、私、渡部君に惚れちゃったんですぅ、とか」
日野の口真似をしながら大輔が言うので、泉は腹を抱えて笑った。
「似てるし、それ。今頃そう言ってるかもしれないね。あの時のこう君はかっこ良かったもん」
その一部始終を一瞬にして思いだし、何故か泉の心臓は早鐘が打つ。
「いや、でもお前のあの庇い方もかなりかっこよかったけどな、男って感じで」
右に座る大輔の頭をバシっと一発叩く。
「利き腕は無しだよ、いてぇなぁ」