6-1
昼食の時間を浩輔は心待ちにしていた。誰かに弁当を作ってもらうなんて、経験が無い。小学校の遠足でさえ、コンビニ弁当を持たされた。周りは手作り弁当ばかりの中で、自分だけコンビニの弁当なのは恥ずかしいし、陰口も叩かれたりしたが、それでも食事にありつけるだけで幸せだった。義理の妹が幼稚園に持って行くお弁当は、カラフルなキャラクター弁当だった事も、しっかり覚えている。浩輔はお弁当を作ってもらった事が一度も無い。
「はい、これがこう君のお弁当」
目の前に出された、青いギンガムチェックのナフキンに包まれた弁当を、まるでプレゼントでも開けるようにゆっくり、ゆっくり、その結び目を解いて行く。開いたナフキンの上には、黒と青の二段の弁当箱があり、上段には色とりどりのおかず、下段には梅じそのご飯が入っていた。
「これ、全部泉ちゃんが作ったの?」
浩輔は目を見開いて、斜め前に座る泉見た。照れくさそうに泉はこめかみ辺りをぽりぽりと掻いている。
「うん、入れ物は弟のなんだけどね。弟はコンビニ派だから使ってないんだ」
浩輔はもう一度弁当に目を落とし、溢れてくる感情をやっとの事で抑えていた。コップの水が表面張力で耐えているように、ふとした拍子に溢れてしまいそうだった。
「いただきます」
箸を持って両手を合わせ、頭を下げた。
持ち上げた顔に浮かぶ笑みに、泉は思わず見惚れてしまった。
今まで見せた事が無い、彼の嬉しそうな顔。嬉しい、楽しい、幸せ、彼が本当にそう感じる時は、こういった顔を見せるのだなと、泉は胸が騒いだ。これを阻止する要因は一体何なのだろう。
「おいしい」
浩輔はその笑みを絶やさぬまま、次から次へと口に運び、あっという間に完食した。
「ごちそうさま」と泉に笑顔を向けた。
彼の笑顔は人を幸せな気持ちにさせる。なのに何故いつも、どこか遠い所で笑っているような気がするのだろう。足元のおぼつかない、すわりの悪い、何と表現をしたらいいのか難しい、違和感のある笑い方をするのだろうか。泉には分からなくて、歯痒かった。
「あぁ、俺も泉の手作り弁当食いたかったな」
口を尖らせてむくれる大輔に泉は「だったら私に優しくしな」と鋭い視線を投げつけた。
浩輔は、大輔が泉に対して、感情を露骨に表現できる事がとても羨ましく思った。欲しい物は欲しい、好きな物は好き、そんな風に生きる事ができるのならば、どれだけ幸せだっただろうか。
「結局、小出先輩は駄目だったかぁ」
郁美はペットボトルのお茶のフィルムを指でなぞりながらぼそっと言う。一瞬、五人が黙る。こういう「陰」の雰囲気を、泉は嫌う。
「あ、のさ、でも、元々そんな、話した事もないし、ただ憧れてただけで、期待してなかったからいいのいいの」
泉はまるで気にしていない風に言うし、泉の気性を知ってか知らずか「ここに良い男が残ってるよ」と大輔もふざけて言うので、仲間が失恋したという雰囲気にはまるでならなかった。
「今年のうちに、彼氏をつくるよ」
誰にでもなくそう宣言する泉に「つくるものじゃありません」と春樹がちゃちゃを入れる。
「泉もな、もう少し身長縮んだら、もうちょっと可愛げがあるのにな」
春樹の言葉に「私より小さい癖に。僻まないでくれる」と口を尖らせる。泉は大輔と同じ175センチメートルの長身だ。170センチメートルの春樹はそれをコンプレックスに感じている。
「だから、俺でいいじゃん。同じだよ、175だよ」
泉は大輔の言葉を全く相手にしていない様子で、ため息を吐きながら弁当箱をナフキンで結んでいる。そのうち予鈴が鳴り、各々の席に戻って行った。
泉と同じように結んだ青い弁当箱を、浩輔は「ごちそうさまでした。おいしかったよ」と少し幼くも感じる親しみのこもった笑顔を向けて寄こしたので、泉は思わず口に出した。
「そうやって笑ってる方が、素敵だと思う」
日頃、顔色一つ変えない浩輔が、この時ばかりは色の白い頬を紅潮させ「ありがと」と真顔で呟いた。泉はその場面をシャッターにおさめるようにぱちりと一度、瞬きをした。
もう皆が自席に戻って次の授業の支度をしている時だったので、浩輔のこの稀な顔を見た人間は泉以外にいない。