最期の落陽-6
act.5 「最期の洛陽」
「それじゃ」少年は振り返らずに、もと来た道を引き返していった。
一体何度、君に会い続けたのだろう。
きっとこれが最期の出会い。
彼の目指す病院に目を移す。
神様は本当に存在したんだ。
そして、少年の願いを叶えた。
彼の願いは、永遠の命。すなわち私のことだ。
あの少年は死に、私が生まれた。
何の因果か知らないが、それは十月五日―――少年が死ぬ前日だ。
そしてこの砂浜で、私は自分に出会う。
決してあってはならないことだろう。
この螺旋は、ついに解き放たれる。
少年は、その願いを変える。
私は、きっとこの世界に生まれない。
だから、
私は海を振り返る。
だからこの夕日は、最期の落陽だ。
何万回も、この光景を目にしてきた。寸分違わず、同じ光景だ。
けれど、
頬を伝う雫に気付く。
けれど、初めて胸をうつ。
私は、ついに感情を表すことが出来た。
やはり、限られているからこそ命は輝く。
消えたくないと思う。それは当然で、寸前ひとは永遠を願う。
それこそ意味は無く。
私たちは、終わりのある明日を願うのだ。
目を閉じる。
さよなら、君にはどうかありきたりな人生を。
私には、どうか痛みの無い終焉を。
ザザァ
ザザァ・・・
Epilogue「無い世界、或る未来」
手術から約一ヶ月の月日が流れた。
少年は、動ける身となり、また無断で病院を抜け出した。
医者は奇蹟だと言った。もう一度、あの手術を成功させる自信が無いとまで言った。あのとき、自分には確かに神が宿っていたのだと言う。
そうかもしれない。
けれど神様は、僕の願いを聞き入れてくれただけの話だ。
海が見え、潮風はきつく鼻をくすぐる。
あのときの場所に立ち、あのときいた誰かを探す。
だけど彼はいない。
彼のいない日々は当たり前のように、そこにある。
そしてその時間たちに僕は感謝し、そこに意味が生まれるのだ。
きっと僕ほど、今を生きている人間はいない。
この姿を誰かに見せたかった。
例えば、一ヶ月前にここに在った見知らぬ誰かに。
海を見つめていた瞳は砂浜で光る物体を見つける。
それは太陽の光を反射して輝く小瓶だった。
その中に、手紙が一枚。
『和彦へ。
君に、これが渡るだろうか。いや、きっと渡らないだろう。けれど一応書いておく。生還おめでとう。これから輝く未来が、きっと君を待ち受けている。決して逃さずに、限られた人生を精一杯楽しむんだ。それは君の人生だ。君の望む、ありきたりな人生を歩んでくれ。
私は今日十月五日と言う日しか知らない。君がこれを読んでいる時も、海は輝いているだろうか。波は立っているだろうか。太陽は照っているだろうか。
君は、笑っているだろうか。
さようなら。
私には、私の望む未来が待っている。
いつか君も、それに救われるときが来る。
その日まで、さようなら』
少年は海の向こうを見つめた。
掌には、いつかの感触が残っている。
彼から教わったものは多い。
そして彼ならこう言うだろう。
『前を向け』と。
だから僕は前を向く。
水平線の向こう側は、遥か遠く。
僕はいつか辿り着き、そこで彼と再び握手をするだろう。
だからそれまでは、
これから過ごすありきたりな人生に、この上ない喜びを感じることにしよう。
最期の落陽 end
あとがき
読んでくれた方々、ありがとうございます。
今回もまた登場人物が二人(一人?)というスケールの小さな話で盛り上がるデルタです。
極端に対照的な二つの構図を並べて、さぁ貴方ならどちらを選びますか?みたいな物語。
私はやはり、時間的永遠ほど醒めるものはないと感じます。
それでも生に執着するのも、ひとつの在り方。
今回も投げっぱなし的問いかけで、身を隠します。
では、また会う日まで。
Producedbydelta