最期の落陽-5
act.4 「消えゆく者、その言葉」
「何をしているんですか?」
僕は聞いた。
少し間を置いて、その男は言った。「何もしていないよ。ただ今日が過ぎてくれるのを待っているんだ」
彼は言った。
「そうですか。私は過ぎてほしくないですね」
「・・・どうして?」
「すごく個人的な理由です」
もし、今日が一生続いてくれるのなら、僕は何だってする。僕は、ただ生きたい。
ヒュルルと風が音を成して僕の横を走っていく。
「なぁ、もし」男は疲れ果てたような顔で言う。
「もし、神様がいたとして、君なら何を願う?」
「いませんよ」
そんなもの、いるはずがない。いるのなら、こんな不平等な世界を創るはずがない。
「私なら、こう願う。あの夕日が沈んで、月が現れて、夜が更けて、無事に知らない明日の朝を迎えられますようにってね」
どきりと胸が高鳴る。
君もそうだろ?
彼の目が訴える。
僕が何を願うって?
神様に?
そんなものは。
だけど手術直前、きっと僕はこう願う。
「僕は生き続けたい。丈夫な体で、この世界に。消えない命が欲しい」
そういうと、男の目つきが変わる。
「本当に、そう願うのか?」
「う、うん。そう願うよ」
「どうしても永遠を欲しがるのか?」
「消える前は、きっと誰もが欲しがる」
「・・・君の名前は?」
「和彦。西部和彦」
彼は頭を抱えた。「そういうことか」
ザザァ
ザザァ
二人、海を眺めている。
あの夕日は、最期の落陽になるのかもしれない。
「なぁ」男は苦しげな表情で言った。
「永遠の命は、この世界には過ぎたものだよ」
「どうして?」
「時間の経過を感じるから、それに意味があるんだ。永遠ってのは、例えば一瞬と同じさ」
「どういうことさ?」
「どんなことが起こっても、それに対して無感情になってしまう。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、全ての感情の密度は、永遠と一瞬では同じ。蛍は一週間しか生きられない。限られているから、一生懸命光るんだろう?自分はここにいるって、叫ぶんだろ?」
「そうなのかな?おじさんは、永遠を知っているの?」
「知っているよ。それは暗闇だ。一寸の光も無い、真空の闇」
男は目を閉じた。
ザザァ
思い出に浸るような時間が過ぎる。
何かから逃げ出すように目を開け、呟く。「地獄さ、まったく」
僕は背後にそびえる病院を見る。
「それじゃあ、僕は何を望めばいいのかな?」
「大学に入って彼女でも作って、会社に勤めて、いつか『あぁ、自分なりの人生だなぁ』なんて溜め息をついて、孫に囲まれながら死んでいく。ありきたりな人生を願えよ」
「嫌だよ、そんな何処でも転がっていそうな未来は」
そう言ったけれど、なぜかその未来は、すんなりと僕の胸に収まる。そんなのもアリかもしれない、と心のどこかで思う。
どうしてだろう、いつか思い描いたような気がする、その男の言葉。
「それじゃあ、明日命が続くことだけを望めばいい。一日ごとに感謝して暮らせ」
「そんなもんかな」
「そんなもんさ」
オレンジ色に染まる夕日が、沈む。
僕は手を差し出した。「ありがとう、おじさん。何だか元気が出たよ」
「ねぇ、また会いに来ていい?」
男は僕の手を握り返した。
「・・・もうここには来れない。今日限りだ」
握る力は強く、何かを訴えかけるように。
「そう、それじゃ」
「元気で暮らせ」