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深海の熱帯魚
【純愛 恋愛小説】

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.1 矢部君枝-2

 並木の一番端っこに、立て看板もなく、三角形に折った段ボールに「読書同好会」と白い紙が貼ってある、謎のテーブルが目に入った。スーツを着た三人の男性が、椅子に腰かけてこちらを見ている。
 何となく、真ん中の一人と目が合ってしまい、パンプスの足を止めた。少し童顔で、地毛なのか髪の色素が薄い彼が、手招きをする。一瞬、別の人間を招いているのではないかと思い振り返ってみるが、そこには誰もいない。彼はずっと、私の方を見て、手招きをしている。カツカツと、ヒールを鳴らして近付いた。
「読書、好きでしょ」
 抑揚と言う言葉を宇宙の彼方に置き忘れてしまったような口調でそう断定する。
「は?」
 その言葉は耳に入って来ているのだが、断定された事に戸惑う。何を持って彼は断定したのだろう。
「だから、読書好きでしょ。顔に書いてある」
 私を見つめる茶色の瞳は強く真直ぐにこちらへ向けられ、あまりに強すぎるので私は顔を下に向けた。押しの強い男は苦手だ。
 右端に座っていた、体格の良い男性が、驚く程デカい声で補足する。
「俺達、高等部上がりの一年だから、同級生。だもんで部員はまだ三人なんだよ」
 はぁ、とため息にも似た返事をすると、真ん中の茶髪童顔が、クリアファイルから白い紙と、缶に立っていたボールペンを私に差し出した。
「ここに名前と、学籍番号、メールアドレスを書いて」
 机に置いた途端にその紙が春風に飛ばされそうになったので、咄嗟に手で押さえると、腕時計がシャラン と音を立てて手首へ落ち、茶髪童顔が私の顔を見て、ニヤっとするのが分かった。しまった。
「あの、私まだ加入するって言ってませんけど」
 手を離すとこの紙はどこかに飛んで行ってしまうから、私は中途半端に腰をかがめた姿勢で物申すと、左端にいた黒髪の男前なお兄さん(と言っても同級生なのだろう)が俯いたまま少し掠れた声でこう言うのだった。
「思い出作りに、どうですか?サークル」
 一度も顔を上げずにそう言われ、戸惑った。私は無言で三人を順番に見た。
 右端の男は笑顔を絵に書いたような笑顔でこちらを見ているし、真ん中の男は人を小馬鹿にした様な笑みを浮かべ腕組みしているし、左の男前は俯いたままだし。
 三人三様の彼らを見て「ちょっと面白そう」と思ってしまったが運のつき。つるまない、と心に誓っていたのに、人間の心とは、いとも簡単に折れてしまう物だ。
 私に付きまとう、男性に対する苦手意識も、ここで解消できるかもしれない。リハビリだと思え。嫌になったら適当に理由をつけてやめれば良い。部員が増えてくれば、きっと私なんて存在が薄くて忘れられていく存在だ。
「読書は好きです」
 そう言いながら私は、名前と学籍番号とメールアドレス、携帯電話番号までを記入し、缶にボールペンを立てた。カランという音と共にボールペンがクルっと回った。
 私はその紙を童顔茶髪に渡すと「で、どうすればいいんですか」と訊いた。
「四人集まれば部室が貰える事になってるんだ。という訳で、これから部室の確保に行こう」
 笑顔の見本のような男の声を皮切りに、バタンバタンとパイプ椅子を折り畳み、テーブルも折りたたんだ。あっという間だった。
「椅子、一個持って」
 童顔茶髪に言われ、私は「あ、はい」とまるで助手の様に、彼らの後について行った。

 部室棟、と呼ばれるそこには、ありとあらゆるサークル、同好会、部活の部室が存在する。在席人数が多いサークルは、部室を使用しないので、空き部屋もある。
 一階の角にある部屋のドアに刺さっている表札用の白い紙を抜き取ると、童顔茶髪が持っていた黒マジックで「読書同好会」と、男性にしては整った文字で書き、刺し戻した。
 ドアを開けると、会議用のテーブルやパイプ椅子、ホワイトボードが置かれた小部屋だった。
「とりあえず座ろうか」
 パイプ椅子を円形に配置し、声のデカい男がエアコンのスイッチを入れると「ピッ」という音と共に少し温かい空気が流れ出てきた。どうやらこの場を取りまとめるのは、声のデカイ笑顔のこの男らしい。
「で、本当に読書が好きなの?」
 童顔茶髪は一人だけ後ろを向いて座り、机に足を乗せている。相変わらず抑揚のない声で訊くので、私はムッとして答えた。
「好きですよ、だってここ、読書同好会でしょ?」
 何もおかしな事は言っていない筈なのに、何故か三人とも吹き出したので、私は戸惑った。何、この置き去りにされている感覚。声のデカい男が説明をし始めた。
「俺らは読書好きでも何でもなくて、新規で小さいサークルを立ち上げたかっただけなんだよ。上下関係とか面倒な事を抜きにしたくて。さっきコイツが言った通り、思い出作りにね」
 と、男前を指差して言うので、「じゃぁ読書は......」と訊くと「勝手に読んでりゃいいじゃん」と抑揚ない声がしたのでそちらへは目線を遣らない事にした。


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