酔ひ深し-1
金木犀の匂いがした。
冬の初めのことで、冷たく澄んだ空気のあいだを、棚引くようにぼくのところまでやってきた。酷く甘く、けばけばしい橙色をしたそれを、ぼくはするすると鼻腔に吸い込んだ。すると頭のなかが痺れたようになって、大変気持ちがよくなるのであった。
そこでぼくは、ますます甘い金木犀の匂いを吸い込みながら、辿り歩いた。橙色の帯は伸び、道は広くなり狭くなり、しかし終いには塀と塀との1メートルばかりの隙間を傾ぐようにしなければならなくなった。ぼくの背丈ばかりの塀が、長く続いた。しかも左へ折れたり、右へ折れたり、段を上ったり、坂を下りたりを繰り返すので、なにがなんだかすっかりわからなくなった。酔いはいよいよ深くなり、ぼくの歩行は乱れた。
そのような様で、気がつくと、白い娘がひとり、ぼくのまえに座っていたのであった。容色に優れたるところのない娘であったが、その襞のある緑色のスカートから覘く尖った膝はいたく魅力的に見えた。
そこで娘の足元に座り込み、掌で娘の痩せた膝を撫ぜた。すると俄かに娘が愛しく思われて、ぼくは掠れた甘い声で、愛しいと娘に云った。
娘はぼくを見つめ、愛しいのですかと、淡々とした声で応えた。愛しい、とぼくはまた云った。娘もまた、愛しいのですか、と応えた。
幾遍もこのやり取りを繰り返したのち、娘は唐突に黙り、ぼくを見つめ、接吻しましょう、と囁いた。その息は大変甘く、ぼくの鼻腔を満たしたのであった。
娘はその白い腕をぼくの体に絡みつけ、顔を覘き込んできた。白い鼻稜、白い頬、白い額のなかで、娘の瞳だけが赤かった。しかしそれもなんのことはなく、赤い空の色が映り込んでいるだけで、その実、娘の双眸も白いのであった。その証拠に空は浮かぶひとつふたつの雲までも、赤く光っていた。
娘の唇を吸うと、匂いは更に濃度を増し、ぼくはついに酩酊し始めた。娘は足や髪や首までも絡みつけ、接吻を繰り返す。ぼくは踊りながら、娘と接吻を繰り返す。
酔いは止どまる処を知らず、深くなってゆくのであった。