7-1
『シンチョコ』の喫茶スペース。ミカとケンジの前に日向陽子が座っていた。
「ほんっとに久しぶり、元気だった?」ミカが言った。
「ありがとう。元気だよ。」陽子は笑った。
「しっかし、びっくりしたよ、あんたがこんな近くに住んでたなんてね。しかも、姪っこと夏輝ちゃんが友だちだったなんて。」
「うちのおきゃん娘がずっと世話になっちゃって。」
「あんたにそっくりだね。夏輝ちゃん。」
「似て欲しくないとこばっか、似ちゃってさ。」陽子は目の前のコーヒーカップを手に取った。「あんたたちの結婚式に行けなくて、ごめんね。」
「招待状、届かなかった?」
「ううん。届いてたらしい。」
「らしい?」
「あたしさ、大学三年で中退したのは、妊娠してたからなんだ。」
「え?」
「夏輝がお腹にいたんだよ。」
「そうだったんだ。」
「っつーか、あたし、三年になってダンナとつき合い始めたんだけど、いきなり妊娠しちゃったからね。」
「ダンナって・・・誰?」
「あんたたちの知らない人だよ。」陽子は寂しげに微笑んだ。「駆け落ちしたんだ。あたし、どうしても夏輝を産みたかったからね。」
「駆け落ち・・・したんだ、陽子先輩。」ケンジが言った。
「そう。親には言えないからね。結婚することも許してはくれないだろうしさ。」
「そうだったのか・・・。」ミカが少し悲しい顔をした。
「ダンナは夏輝が生まれた日に、バイク事故で死んじまった。」
「えっ?!」ケンジとミカが同時に声を上げた。
「ま、それが彼の寿命だったのかもね。夏輝は、だから彼の生まれ変わりだって思ってる。あいつを産んで良かった。でなきゃ、あたし、きっと彼の後を追ってた。」
ミカの目に涙が宿った。「辛かったね、陽子・・・・。」ミカの頬を涙が伝った。
「唯一あたしたちの理解者だった伯母さんがさ、この街に住んでたんだよ、偶然。」
「そうか。それで。」ケンジが言った。
「だから、頼ってあたしたちもここに来た。でも、伯母さんも年取って、今は特別養護老人ホームにいる。伯母さんもアパートに一人暮らしだったから、そん時家財道具ほとんど処分して、あたしたちは二人でアパート暮らしをするようになったってわけ。夏輝が中学に入る時だったかな。」
「真雪はその時夏輝ちゃんと知り合ったんだよね。」ケンジが言った。
「そうらしいね。ずっと仲良くしてもらってる。感謝するよ。」
「で、陽子、今仕事、何してるんだ?」
「派遣でね、中距離トラック運転してるよ。」
「そうか、あんた車の免許取るの早かったしね。それに妙に車好きだったからね。」
「ダンナの影響かな。でも、リストラに引っかかるかも・・・。」
「え?ホントに?」
「派遣だからしかたないよ。それに今は不況だからね。」
「でもさ、夏輝ちゃん、進学させたいだろ?」
「あいつは、警察官になる、って言ってるよ。」
「警察官?」
「交通事故を憎んでるんだ。」陽子はため息をついた。「もう願書も出したらしい。一次試験は10月だって言ってた。」
「陽子先輩、」ケンジが身を乗り出して言った。
「何?ケン坊。」
「俺たちのスイミングスクールで働きませんか?」
「え?」陽子が目を見開いた。
「丁度、スクールバスの運転手を募集しようとしてたところなんです。どうだい?ミカ。」
「そうだよ、それがいい!うちに来なよ、陽子。大型二種免許持ってるんだろ?心強い。」
「ほ、本当か?本当にあたしを雇ってくれんの?」
「もちろん正社員として。っつーか、困ってたんです。俺、インストラクターしながらマイクロバス運転しなきゃいけなくて・・。」
「それに最近は隣町からやってくる子もいてさ、もう運行ルートが複雑すぎて、ケンジも負担になってたところなんだよ。」
「やるっ!喜んでやる!やらせて、運転手以外にも何でもする。」
「いやあ、あたしたちも助かるわ。大して高給は出せないけど、少なくとも安定するだろ?今より。」
陽子はミカの手を取って涙ぐんだ。「ありがとう、ありがとう、ミカ・・・・。」
「そう言えばさ、」ミカが陽子の目を見ながら少しおかしそうに言った。「あんたんとこの夏輝ちゃん、このケンジに抱かれたいって思ってたらしいよ。」
「ええっ?あいつがそんなことを?」
「このガタイに惚れたんだとさ。」
「あたしも惚れてたよ、ケン坊のカラダに。」
「え?」ケンジが驚いて顔を上げた。
「今となってはミカに取られたのが悔しいぐらいだ。」
「ほ、本気で言ってんですか?陽子先輩。」
「マジで。」
「そうか、じゃあ貸してやろう、ケンジを。」
「ええっ?」ケンジが叫んだ。
「あんたのカラダを慰めてやっから、ケンジが。」
「あたし本気にするよ。ケン坊、ホントにあたしを抱いてくれるの?夢みたい・・・。」
「お、おいおい、ミカ、」
「今まで苦労してきた陽子を慰めてやるんだ、ケンジ。陽子先輩にも大学時代、いっぱい世話になっただろ?抱いてやりな、ケンジ。あたしが許す。特別に。」
「ええーっ?!」ケンジは例によって赤くなってうろたえた。