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春菜は一人、『シンチョコ』の入り口ドアを開けた。カランコロン・・・ドアにつけられたカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませ。あれ、春菜。」振り向いた真雪が彼女に近づいてきた。
「真雪、店手伝っているんだね。」
「うん。休日はだいたいね。何?何か買いに来たの?」
「え?う、うん。」
「どうしたの?」真雪は春菜の顔をのぞき込んだ。「もしかしてケン兄に会いに来た、とか。」
「えっ?!」春菜は顔を上げた。「ひょ、ひょっとして夏輝から聞いたの?」
「聞いたよ。でも、本当なの?春菜。夏輝がまた一人で突っ走って勝手なこと言ってるんじゃないの?」
「・・・本当なの。」春菜はうつむいて赤くなった。
「そっかー。でもケン兄にはもったいないね、春菜は。」真雪は笑った。「あの人、結構ずぼらだよ、優柔不断だし。呼んで来ようか?ケン兄。」
「え?いや、いい、いいよ。大丈夫。」春菜は慌てて言った。
「今たぶん部屋にいると思うけど。」
「本当にいいの。そ、それより真雪、ちょっと話す時間、あるかな。」
ずっと赤くなったままの春菜を見て、真雪は微笑みながら言った。「いいよ。じゃあそこのテーブルで待ってて。」
「ごめんね。」
真雪は店の奥に入って行った。春菜は喫茶スペースの隅のテーブルに向かって座った。その時初めて春菜は店中に充満しているチョコレートの匂いに気づき、目を閉じて深呼吸をした。嗅ぎ慣れているはずのその匂いが、春菜にはいつもに増して甘く、かぐわしく感じられた。すぐに真雪が戻ってきた。手にはトレイを持っていた。二つのティカップとチョコレートが乗っていた。
「はい、食べて。」真雪も春菜の向かい側の椅子に腰掛けた。
「え?悪いよ、こんなことまでしてもらっちゃ。」
「いいのいいの。遠慮しないで。これ、うちの今年の秋の新製品。マロン・チョコ。」
「マロン・チョコ?」
「そ。小粒のマロングラッセをスイートチョコでコーティングしたの。10月発売開始予定なんだ。感想を聞かせて。春菜がモニター第一号。」真雪は笑った。
「光栄だな。いただきます。」
春菜はその形のちょっといびつな丸いチョコレート菓子をつまみ、口に入れた。
「おいしい!中身がすっごく柔らかい。マロングラッセって、もっとごろごろしてるイメージがあった。」
「それ作るのに二週間かかるんだって。」
「二週間も?!」
「栗を甘く、柔らかくするためには、そのくらいかけないとダメなんだって。お酒もちょっとだけ入ってるんだよ。」
「時間がかかるんだね、それにお酒も・・・・。だからこんなに上品に甘くて、芳醇な香りを発するようになるんだ・・・・。」春菜は感慨深げにそうつぶやいた。
「で、何かあたしに手伝えること、ある?」
「そう。あ、あのね・・・。」春菜は持っていたバッグから一枚の紙を取り出した。それははがき大のケント紙だった。彼女はそれを黙って真雪に手渡した。
「わあ!」真雪はそれを手にとって見た瞬間驚嘆の声を上げた。「すごい!ケン兄の絵。」
それは健太郎の制服姿の全身を描いた鉛筆画だった。半袖のワイシャツ越しの逞しい筋肉、充実した腰、そして長い脚。真雪が見てもほれぼれするような、まるでモデルのような兄の絵だった。そして何より真雪を感動させたのは、描かれた健太郎のこぼれんばかりの笑顔だった。それは、真雪が小さい頃、一緒に遊んでくれていた時に見せたような無邪気な兄の笑い顔だった。
「ケン兄だ、まさしくケン兄だよ!」
春菜がゆっくりと口を開いた。「私、シンプソン君の身体が好きなの。」
「え?身体?」
「い、いや、変な意味じゃなくて、その、プロポーションって言うか、彫刻みたいな理想的な身体っていう意味だよ。」
「ああびっくりした。でもわかるよ。さすがデザイン科のトップを独走する春菜だね。」
「そ、それでね、」春菜はもじもじし始めた。「あ、あの、」
「何?」
「シンプソン君の、ヌ、ヌードを、スケッチしたいんだけど。」
「おっと!そう来ましたか。いいよ。あたしが頼んであげる。」
「え?ほんとに?」
「イヤとは言わせないよ。任せて。」真雪はウィンクをして見せた。
「あ、ありがとう、真雪。感謝する。」