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7月中旬。高校総体のブロック大会。夏輝と春菜は、揃って朝から剣道会場の県立武道館に行った。そこは、応援の人でごった返していた。
「良かったね、剣道のブロック大会がうちの県であって。」春菜が言った。
「こんなのいや。」夏輝が言った。「むさ苦しすぎ!」
「そんなこと言っても、ここで天道君たちの試合があるんでしょ?」
「そうだけど。あたし修平さえ見られればそれでいいのに、何この人だかり。」
夏輝と春菜はその人だかりをかき分けながら、二階の応援席へと上がっていった。
自分の高校の生徒や剣道部の保護者がたくさん集まっている場所を敢えて避けて、二人は比較的知り合いの少ない場所に陣取った。その武道場は広く、フロアには4面の試合エリアが設けられていた。
「あっちの場所だね、あたしたちの学校が試合するの。」
「そうみたいね。」
「まだ始まらないのかなあ・・・・。」夏輝が腕時計を見ながら言った。
その時、春菜が小さく叫んだ。「あ、シンプソン君。」
「え?ケンちゃん来てるの?」
「ほら、あそこに。」春菜が指さした所に、健太郎と真雪、それに龍もいた。そこは学校の生徒や保護者が山程たまっている場所だった。
「真雪も龍くんもいるじゃん。」
「そうだね。」
「龍くんカメラ持ってる。」
「ほんとだ。」
「修平を撮ってくれるのかな。」夏輝は春菜の顔を見て息を弾ませた。
「きっとそうだよ。」
「やだ、期待しちゃう。後で写真もらお。」夏輝は再びその三人に目を向けた。「それはそうと最近、真雪、可愛くなったよね。」
「私もそう思う。」
「彼氏でもできたのかなあ。」
春菜の顔が少しだけ赤くなっていた。夏輝はそれを見逃さなかった。
「あれ?どうしたの?春菜。赤くなっちゃって。」
「え?」
「何、あんたにも好きな人ができた?」
「え?」
「だとすれば・・・・、もしかして、龍くん?ケンちゃん?」
「え?」
春菜は『え?』しか言葉を発していなかったが、その視線と動揺の仕方で、夏輝は全てを理解した。
「そーかー。いい人だよ、ケンちゃん。あたしからもお勧めする。真雪の双子の兄だし、誠実だし、優しいし、シャイだし。あれは絶対女のコを泣かせたりしないタイプだね。間違いないよ。あれにしなよ、春菜。」
「あ、あれにしなよ、って・・・・。」春菜はますます赤くなった。
「でもさ、彼とはあんまり話、したことないんでしょ?どうして好きになったの?何かあった?」
「べ、別に何も・・・・。」春菜は健太郎の美しく均整のとれた裸体を思い浮かべて、さらに赤くなった。
「真っ赤だよ、春菜。」
春菜は自分の両頬を手で押さえた。
「あ、始まりそうだよ。」
今、赤いたすきを背中に垂らした、修平を大将とする五人と、白いたすきの相手校の五人が向かい合って礼をしたところだった。
「修平、がんばって!」夏輝は両手をメガホンにして叫んだ。
修平たちのチームは、先鋒が負け、次鋒も負け、中堅は勝ったが副将は負けた。勝敗は大将戦を待たずに決まっていた。しかし、その最後の闘いに挑む修平の周りには、何か、近づくものを跳ね返すような鋭いオーラが取り巻いていた。
「す、すごい気迫・・・・。」春菜がつぶやいた。
「かっこいい・・・・。」夏輝もうっとりと口にした。
大将戦は、さすがになかなか勝負がつかなかった。審判の旗はなかなか上がらなかった。制限時間が迫ってきた。修平は突然相手から身を引き、ゆっくりと下段の構えをとって身体の動きを止めた。相手の持つ竹刀は、荒い息に合わせてその切っ先が上下に大きく揺れている。まるで凍り付いたように修平は身動き一つしなかった。応援席の声が、潮が引くように静まっていった。そして会場全体が全くの無音の状態になったと同時に、修平の身体が跳ね上がり、一瞬のうちにその竹刀は相手の面の頭上ど真ん中に命中した。パアーン!「めーんっ!」修平の声だけが会場に響き渡った。為す術もなく呆然としている相手選手のすぐ横を、修平がつま先立って駆け抜ける瞬間に、三人の審判の赤旗が、同時にさっと上げられた。
わあっ!すさまじいばかりの歓声が会場を包み込んだ。
「やったーっ!」夏輝も歓声を上げて飛び跳ねた。「すごいっ!すごいすごいっ!さすがあたしの修平。かっこいー!」
隣の春菜は少し涙ぐんでいた。「なんて芸術的・・・。」
修平は下がって竹刀を収め、立ち上がり背筋を伸ばすと相手に向かって深々と礼をした後、ゆっくりと正面に頭を下げた。。
「もうだめ、あたしめろめろ・・・・。」夏輝が会場から出たところで春菜に寄りかかった。
「すごかったね。天道君。さすが私たちの学校の剣道部主将。」
「あたし、濡れてきた。」
「えっ?」
「今、修平に抱かせろ、って言われたら、あたし迷わず服を脱いじゃう。」
「ちょっと、夏輝、は、恥ずかしいこと言わないで。」
「満足した。帰ろ、春菜。」
「え?会わなくていいの?天道君に。これから個人戦だよ。」
「もういいの。お腹いっぱい。」夏輝は夢みるようにそう言って、春菜を置いて歩き出した。