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次の日も、夏輝と春菜は剣道場にいた。
「あたし、」春菜が口を開いた。「家で絵の練習、したいんだけど、」
「え?何だって?」夏輝は耳に手を当てた。
「絵の練習っ、したいんだけどっ!」春菜は大声を出した。
「すれば。」
「す、すれば、って・・・。」
「ここにスケッチブック持って来なよ。そうだよ、あたしの修平をスケッチしてくれない?」
「いつから『あたしの』修平になったのよ。」春菜はそう言って、そこを離れた。
「あ、春菜、どこ行くの?」
「ちょっとね。すぐ戻るわよ。」
一人になった夏輝は、面をかぶって乱取り稽古をしている修平だけを見つめていた。彼女の胸はいつものように熱くなっていた。
やがて春菜が戻ってきた。手にはスケッチブックと鉛筆が一本握られていた。
「え?」
「やれやれ・・・。」春菜はスケッチブックを開いて左腕で抱え、右手に持った鉛筆を軽やかに動かし始めた。夏輝はその様子を見ていた。そして本物の修平の姿と、描き出されていくモノクロの修平の姿を何度も見比べた。
「あんた、例によってすごいね。」
「え?何が?」春菜は手を止めずに答えた。
「よくそんな、すらすらと・・・・・。」
「はい、できたわよ。」春菜はスケッチブックのその修平が描かれた紙をぺりぺりと切り離して、夏輝に渡した。
「あ、ありがと。」
昼食時間の学生食堂は賑やかだ。健太郎の隣に座った修平が喧噪の中囁いた。「ほら、夏輝だぜ。」そして彼の脇腹を肘で小突いた。
「えっ?」健太郎は顔を上げて、修平の指の先、食堂の入り口に立っているポニーテールの女子生徒を見た。
「チャンスじゃねーか。」修平がにやにやしながら言った。
「な、何がチャンスなんだよ。」
「高校の食堂から始まる恋・・・そして二人は見つめ合い、そっと唇を・・・。」
「やめろ。」健太郎が言った。「こんなに人がいるのに、なんでくっ、唇を、」健太郎は赤くなった。
「ばっかじゃねーの?おまえ、本気で想像してんのか?」
「お、おまえが変なこと言うからだろ!」
「ケンちゃん。」二人の前で声がした。健太郎は目を上げた。いつの間にか彼らが座ったテーブルの向かい側に夏輝が春菜と真雪と共に立っていた。「え?」健太郎は言葉を失った。
「ちっ!真雪も一緒か。これじゃコクれねえな、ケンタ。」修平が右手の指を鳴らして残念そうな顔をした。
「ここに座っていい?ケン兄。」真雪が言った。
「え?あ、い、いいけど・・・・。」
「修平も一緒で良かった。」夏輝が言った。「見せたいものがあるんだ。」
「見せたいモノだあ?」修平が言った。
「これ。」夏輝は、昨日春菜が描いた道着姿の修平のスケッチをテーブルに広げて見せた。
「おっ!」修平が目を見開いた。
「こ、これって・・・・。」健太郎もその絵をのぞき込んだ。
「春菜が描いたんだよ。うまいでしょ。」
「す、すげえ・・・。」
「ものの一分ぐらいでさらさらっとね。」
「面をつけてるのに、修平ってすぐわかるな、この絵・・・・・。」健太郎が言った。
「ほんとに何て言うか、絵なのにしゅうちゃんの雰囲気が伝わるよね。」真雪が言った。
「春菜さんって、噂以上だな・・・。」
「絵の勉強、いつからやってるの?」健太郎が訊いた。
春菜がようやく口を開いた。「小学生の頃からね。」彼女は小さな声で言った。
「大したもんだな。」修平がその絵を手に取った。そして左手の箸でミニトマトをつまみ、口に入れた。