ある悪魔の恋-3
木は、やっぱりそこに立っていた。
逃げる事も、悲鳴を上げる事もできず、迫り来る灼熱の戦火を、ただじっと見下ろしている。
「――よぉ」
天まで届きそうなほど大きく成長した木に、話しかけた。
「ここももうじき戦火で焼ける。お前も死ぬぜ」
木はわずかに枝を震わせ、理解していると、意図をしめした。
「……なぁ、お前は新しい身体がほしいか?」
フルートを握る俺の手は、じっとり汗ばみ、バカみたいに震えてた。
「歩ける足と、喋れる口。空を飛べる羽根だって、つけてやってもいい。世界中のどこにだって行ける」
残り少ない魔力を全部使えば、コイツの姿を他の生物に変えて、安全な場所に逃がすくらい、なんとか出来る。
俺のプライドにかけて、とびきり美しい姿にしてやるよ。
誰もがお前に魅了され、守ってやろうと手を差し伸べるはずだ。
「タダ働きなんか、死んだってしねぇのが悪魔なのによぉ。失格だなぁ。でもまぁ、からきしタダってわけでもねーか。お前の膝で、ずいぶん居眠りさせてもらったから、そのささやかなお返しってヤツだ。なぁ、そんでどーすんだ?早く言えよ」
熱がさらに迫ってくる。
俺の大好きな緑の髪がしおれはじめた……。
「俺はな……お前と過ごした時間が、まぁ、そんなに嫌いじゃなかった。つーか、気に入ってるほうに入れてやってもいい」
力を使い果たした俺は、また何十年か眠りにつくだろう。もしくは何百年。
そしてまた生き返る。
その頃には、もう新たな姿になったコイツは、きっと生きていない。
けど、それまでコイツは自分で世界を眺め、自分の口で喋って……
俺じゃない、他の誰かと笑いあうだろう。
このまま焼け死ぬより、何倍もマシなはずだ。
「だから……お前は頷くだろ?なぁ?」
かすれたみっともない、俺の声……
どんなに残酷な話だって、いつも陽気に話してたクセに……
木が、ゆっくりと身体を横にゆすった。
(いいえ)
【 その新しい体と引き換えに、アナタを休ませる膝を、わたしは失ってしまう。
それなら、アナタと出会って過ごしたこの地で、アナタに愛されたこの身体を持ったまま終わりたい 】
言葉でなく、音すら発しなかったその『声』は、俺の体中に染み渡った。
「――――――そっか」
深い深いため息が出た。
信じられないほど深い、安堵のため息が。
気が遠くなるくらい長い人生の中、初めて感じる不思議な感覚が、俺の心に浸透して、満ち溢れる。
フルートを唇にあて、息を吹き込む。
俺の奏でる最後の音色が、木を包んでいく。
一つ……また一つ……地味で人目もひかないし良い香りもしないけど、俺の一番好きな花が、緑の髪を彩る。
満開の白い花を咲かせた、「俺の愛しい女」を、抱きしめた。
「ありがとう」
千年よりも長い時を生きて、星よりも多くの言葉を紡いだけれど、最後に言いたいのは、このたった一言。
もう何もいらないくらい、満たされてた。
どんな剣よりも魔法よりも鋭い何かが、俺の心臓を突き刺し、命を奪っていく。
きっと……俺は、もう二度と目覚める事はないだろう……
ありがとう。
俺の申し出を断ってくれて。
最後まで俺は、お前を失わないで済んだ。
誰になんの為に作られたかも判らず産まれ、種の存続という最も原始的な目的すら持たず生き続けた俺は、長すぎた一生を、ようやく終える。
最愛の「女」と、ここで終える。