王国の鳥-1
而して神はアガラの舟に導き手を使わし賜う。
アガラの民は鳥に導かれ、千年の楽土を見いだしたり。
『ロンダーン建国記』
※※※
ハヅルは拳を震わせていた。
通常はきわめて平静なこの少女が、いつになく激怒しているのは明らかだった。
その激情を引き起こした張本人である彼女の祖父は、といえばどこ吹く風という顔である。
「……私は男です、お祖父様。そのように育てられた。男は嫁がぬものだ」
抑制の効いた声だった。
仕事中に緊急と呼び出され、何事か重大な事態がと参じてみたら、里の重鎮が集まってでもいるのかと思った会議の間には祖父が一人で待っていて、開口一番言った台詞がつまり、「嫁に行け」というものだった。
ハヅルは祖父を心配して、可能な限り急いで、それこそ飛んで来たというのに。
そう思うほど彼女の怒りはこみ上げてきて止まらなかった。
「せっかくの美人が何を言ってる」
孫娘の怒りを、祖父サケイは笑って受け流した。
「それとも相手が不満とか?」
「そういう問題ではなくて!」
「あいつが一番いいと思うぞ。実力はもちろん、顔だってちゃんと選んだんだぞ。いい男前じゃねえか」
「だからそういう問題では……っ!」
執務机に叩きつける勢いで前に身を乗り出したとき、背後の扉がガチャ、と開かれた。
反射的に振り返った先には幼なじみのアハトの姿があった。
彼もハヅルと同様に呼び出されたのは明白だ。
少年は幼なじみとその祖父の二人しかいない室内に、怪訝そうに目を細めた。
「よう、アハト」
嫁ぎ先として指名された当人の登場に、ハヅルははからずも言葉を失った。
アハトは堅苦しい挙作で会釈した。
「お呼びとか。どのような用件でしょうか」
「それだけどな……」
サケイは効果をはかるために言葉をためた。だがハヅルに口を出す間は与えなかった。
「アハト、お前ハヅルを嫁にする気はねえか?」
「お祖父様!」
「別に今すぐとは言わん。祝言は三年後でも五年後でもいい。そうだな、十八にもなればコイツもちったぁ落ち着くだろう。我が孫ながら大した別嬪だと思うが、どうだ?」
サケイはさぐるように少年の表情を見たが、そこには何ら変化はなかった。彼の期待していた何かしらの感動を少年が覚えなかったのは明らかだった。
ハヅルはその反応に安堵しつつもわずかに腹立ちを覚えた。女心は複雑なのだ。
しかし。アハトの返事は祖父と孫娘の予想を全く裏切っていた。考え込む様子は微塵もないまま、ごく淡々と彼は応えた。
「……慎んで、お受けします」
二人は息を呑んだ。
「そ、そうか! よっしゃこれで決まりだな、なあハヅル!」
祖父を罵倒する言葉をハヅルが捜していると、アハトは再び礼をした。
「では、仕事があるので御前を失礼します」
彼はさっさと、ハヅルに目もくれずに出ていこうとした。
「アハト、お前、そんな……どうでもよさそうに!」
出て行くアハトの背にわめきながら、ハヅルはどうするべきか迷った。
目の前で満面の笑みでいる祖父を殴りたおすか、アハトを追いかけて撤回を求めるか。
数秒間の苦悩の末に、ハヅルは会議の間の扉を勢いよく開けて廊下に飛び出した。
王宮の奥殿には、彼ら『ツミの里』の一族のための一角が用意されている。近衛騎士の詰め所とは別の、王宮警備の要と言うべき場所だ。会議の間はその一室にあった。
扉を開けたハヅルはダッシュも辞さない勢いだったが、美しい庭園に面した回廊を、アハトはさほど進まずに、すぐそこに佇んでいた。
ハヅルを待っていたのだ、とはなぜか彼女は思わなかった。