王国の鳥-9
「エイ?」
彼は、し、と唇に人差し指をあてた。
「……囲まれています」
そのまま、ゆっくりと王女を壁際にかばうように通路側に回り込む。
ハヅルの優れた聴力も、そのときようやく彼の言う気配を捉えていた。
店舗の間や路地裏にかなりの数が潜んでいる。
それも、気配を殺す術を身につけた者たちだ。追いはぎの類いではない。
いつの間にか路地を入って、人の多い大通りから外れてしまっていた。不用意だったとハヅルは内心で舌打ちした。
「姫、こちらへ」
「ええ」
ハヅルは王女の手をつかんで引いた。
この王女はこう見えて、それほどか弱い姫君ではない。多少乱暴に扱っても壊れる気遣いはなかった。
長いスカートをつまんで走りながら、王女はしんがりのエイをちらりと見て呟いた。
「ツミのお前よりも早く気配に気付くなんて、不思議な方ね」
「……黙ってらしてください。舌を噛みます」
注意力散漫を指摘された気がして、ハヅルは唇を噛んだ。
路地を駆け抜け、小さな通りに出ようとしたとき、シャラシャラと何本もの剣が鞘から抜かれる金属音と、抑えられた足音が重なって聞こえた。
同時に、前方にようやく相手が姿を見せた。
数列に折り重って十人近く。全員一般人のような出で立ちだが、手には各々剣を持ち、統制された動きを見せて、害意を持って打ちかかってくる。
誰何も口上も何も無かった。三人が何者か、彼らは知っているのだ。
「身の程知らずな連中め」
ハヅルは王女の手を放し、身構えた。く、と体を沈め飛びかかる体勢をとる……
と、そのときだった。
「うわあっ」
ハヅルは襟首をつかまれ、背後に引っ張られた。虚をつかれてバランスを崩してしまう。
何事が起こったのかと首をめぐらせた瞬間、後退した足元すれすれに、小さな鉄針が突き立った。
ほとんど垂直に突き立つ鉄針は、建物の上に潜む敵の存在を知らせている。
引っ張ったのはエイだった。
彼女を乱暴に後ろに投げやった反動のまま、彼は前方に飛び出した。
「待っ、」
止める間もなかった。飛び出すと同時に上空から降り注いだ鉄針を、抜刀の勢いで弾き飛ばす。鞘走りの瞬間を、おそらくハヅルの他は誰も視認できていなかった。
すさまじい速さだった。
「……っ」
光芒がめまぐるしく動く。それは一点の乱れもなく、機械のように正確に相手を切り裂き、刺し貫き、断ち割っていった。
ハヅルは息を呑んだ。剣のさばきの足の運びも、剣術は正道そのものだが、速さと威力が桁違いだった。『彼は強い』。アハトの声が脳裏によみがえる。
まるで戦鬼だ。だがその言葉から想起される、血に飢えた狂乱とは全くの無縁でもあった。
彼の眼差しはひどく静かだった。
相手を仕留める瞬間にさえ、息一つ乱さず、声一つ上げず、無感動にただ次の動作に移っていく。
剣術の修練中かのような錯覚を覚えたが、跳ね飛ばされた敵の身体は一つとして五体満足ではなく、エイの走り抜けた痕には比喩ではなく血と臓物の沼が形成されていた。
ハヅルの足が全くの無意識のまま、一歩だけ退けた。