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数ミリでも近くに
【大人 恋愛小説】

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譲歩-1

 晴人も葉子も同じことを考えていた。
 最近、健人とスミカがお互いを避けているように見える。
 四人という狭いコミュニティの中でこういう事が起きると、すぐに分かってしまう。
 気づかれている、とスミカは自覚していた。
 今の状況をどうにか脱しなきゃ。そう、考えて、夜を迎えた。

 階下から物音が聞こえなくなった。もう皆、寝静まったのだろう。
 隣の部屋の電気がついている事は、自室の窓から確認できる。隣の窓は開け放っているのだろう、パソコンのキーボードを叩く音もする。
 まだ、健人は起きている。今がチャンスだ。
 スミカはスリッパを履いて自室を出て、隣のドアをノックした。
「はい?」
「スミカだけど、入っていい?」
 そう声を掛けると、足音が近づいて来て、無言でドアが開けられた。
 初めて入る健人の部屋。飾りは何もなく、ベッドと机と本棚が置かれている、彼らしい清潔感のあるシンプルな部屋だった。
「勉強中だった?」
「いや、論文書いてた」
 本当は論文を書きながら、ずっと考え事をしていたが、そこまで伝える必要はないと判断した。
 そこ座って、とベッドを指差し、健人はパソコンデスクの椅子に腰かけた。
「何かその、ギクシャクしてるじゃない?」
 スミカは下を向いたまま、意味不明なジェスチャーをした。
「してるねぇ。あんな事があったんだから、ねぇ」
 黒縁眼鏡の位置を直し、頷く。
 彼はあれから色々考えていた。
 あのキスが、何かの意味を孕んでいるキスならば、自分は受け入れるべきなのだろうか。
 そもそもあのキスに、同情以外の意味が含まれていたのだろうか。
 海外でいう所の「ハグ」みたいなものなのだろうか。
 いずれにしても、スミカ本人に真意の程を訊かなければ、答えは導き出せない物だった。
 スミカは俯いたまま、布団のカバーをぎゅっと握りしめた。
「あのキスは――私、健人の事が好きになっちゃったみたいで、それで――」
 健人は静かに頷いた。仮説その一が正解。
「同情とかではなかったって事?」
 コクリと頭を垂れたスミカは「同情じゃない」と言った。
 それまで項垂れていた顔を上げ、しっかりとした声で続けた。
「今付き合ってる彼にはない魅力が、健人にはあるの。健人がもし、私を受け入れてくれるなら、私、彼と別れようと思ってる」
 健人は眉根を寄せて、「そんなのはおかしい」と言った。
「何で付き合ってる人がいて、俺に告白するんだよ。おかしいだろ。ズルいよ」
 スミカは黙って再び俯いてしまった。暫く沈黙が続いた。パソコンの稼働音が響く。
 眼鏡を外し、目を擦った健人は、もう出てってくれと言いかけた。その瞬間、スミカが動いた。
 一度部屋を出て、自室から持って来たピンクの携帯電話を耳にあてている。
「あ、スミカだけど、寝てた?」
 相手は彼氏だろうと容易に想像がついた。
「もう、一緒にいるの疲れた。好きな人が出来たから」
「そう言われても、もう、気持ちは固まってるから」
「知らない。でも好きなの。断られてもいいと思ってるから」
「じゃぁ」
 スミカは通話終了のボタンを押し、電話を切った。
「別れた」
 彼女の行動力に唖然とした。「正気かよ――」健人はぽつりと言った。
「もう私はフリーになった。だから健人、好きなの。受け入れてくれるなら隣に座って。無理なら無理ってはっきり断って」
 そう言われて、健人は考え込んだ。椅子のキャスターを動かしながら、行ったり来たりしながら、懸命に頭を働かせた。
 俺がスミカを受け入れれば、スミカはもう、あの二人の邪魔はしないだろう。
 俺と同じ疎外感を感じているスミカを、俺は救ってやれるかもしれない。
 俺は葉子を、忘れられるかもしれない?そこは疑問だが。
 椅子からスクっと立ち上がり、スミカの隣に腰を掛けた。
 すぐ隣に、人形の様に整った、綺麗な顔がある。それが徐々に近づいて来た。
 健人はそれを受け入れ、彼女の背に腕を回した。そのまま重なった。

 スミカの携帯電話が健人のベッドから転がり落ちた。


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