プライベート・ビアガーデン-3
ベランダにはすでにキャンプで使うようなテーブルと椅子がセットされていた。
その1つに座るように促され、足元に置いたたらいに水を張ってくれた。
「女子はあんまり冷やさないほうがいいのかもしれないけど、まだ暑いだろ?」
浴衣の裾が濡れないように少しだけたくしあげて、足をつけてみると、気持ちがよかった。
持参したお弁当を広げ、クーラーボックスの中の氷水でよく冷やされた缶ビールで乾杯。
「できれば縁側みたいなベンチが欲しいんだけどね」
隅にはブタの蚊取り線香。
逆サイドには朝顔とほおずきの鉢植え。
「日本の夏、ってカンジですね」
「たまにはいいだろ?せっかくだしさ」
「もしかしてテーブルとかも買ったんですか?」
「いや、キャンプ道具は趣味」
「なんか、意外」
別にインドアなイメージはないけれど。
「そうか?しょっちゅう行ってるけど」
「あんまり聞いた事なかったです。よくお友達と出かけるとは聞いてましたけど」
3年目にして初めて知ることもあるのだ。
ここにこうして招かれなければ知らなかったこと。
「そうか?オレの話に進藤が興味なかっただけじゃねーの?」
そう言いながらも、今までにしてきたキャンプのこと、いろいろ話してくれた。
学生時代にはヒッチハイクで日本縦断したり、バイクで日本一周したりしたんだとか。
「進藤はバイクにも乗ったことなさそうだし、キャンプもしたことなさそう」
「そうですね、両方とも未経験です。あ、バイクっていうか原チャは免許取るときに教習受けましたけど」
「それは乗ったうちに入らねーよ。今度乗ってみるか?」
「え?バイクの免許は持ってませんって」
「バーカ。運転するのはオレ。進藤は後ろ」
「あ、ちょっと乗ってみたいかも。キャンプも気になりますけど」
「じゃぁキャンプも行こう」
「ぜひ」
きっと叶うことはない、酒の席での大人の約束。
それでも、新谷とこうして未来について話ができるのは少し嬉しい。
そしてやっぱり、寂しい。
明日もうだるような暑さになることを予言しているかのような、鮮やかな夕焼けのせいだろうか。
少しずつ、空の色が変わっていく。
普段なら、まだオフィスにいて、仕事と格闘している時間。
こうして新谷と一緒にゆったりと過ごせるのは、これが最初で最後なんだ。
空から太陽の光が完全に消えた頃、代わりに色とりどりの光の花が迫力のある音とともにいくつも開き始める。
「綺麗…」
思わずため息がこぼれる。
「進藤のほうがキレイだよ」
「何ですか、その感情のこもってない棒読みっぷり」
「そんなことないぞー、馬子にも衣装だ」
…ムードも何もあったもんじゃない。
「でも本当にキレイだな。ある意味特等席だよなー。1年でこの日だけは姉貴夫婦に感謝する。まして今年は進藤っていう別嬪さんが浴衣着て一緒に見てくれてるんだもんなー」
「まーた新谷さんてば心にもないことを。おだてたって何にもでませんよ」
「そうだ、キャンプに行ったら、進藤が料理してる姿見れるな」
…あ、話変えたし。
「相変わらず信じてくれないんですか?」
新谷の中のイメージでは、私は料理ができない女らしい。
花見の時も、いなり寿司もから揚げも美味いを連発して食べていたのに。
親とかが作ったのを持ってきていると思っているのだ。
「今ココで裸にエプロンして料理作ってくれたら信じる」
「なんで裸にエプロンなんですか。新谷さんのヘンタイ」
相変わらずのエロ発言に、思わずビールを噴出しそうになる。
「ちゃんと昨日の帰りに買い物して、昨夜から下ごしらえがんばったのになー」
思わず頬を膨らます私を見て、新谷がふと優しく微笑んだ。
なんだかキュンとなる。
「ありがとな」
「え?」
「オレが好きなもんばっかじゃん」
そうなのだ。
リクエストのあったいなり寿司もから揚げも、新谷の好物。
買い物してる時に思いついた浅漬けも、生春巻きも、煮物も。
よく飲みに行くと新谷が頼むメニュー。
「だって新谷さんの送別会ですもん」
「じゃぁ2次会は進藤んちか?」
「ウチは狭いからダメです。男子禁制です」
「ウソつけ。いつだか送っていった時に茶でも飲んでけって言ったの進藤だろ?」
「そうそう、入って玄関のドア閉めた瞬間襲いかかられそうだから帰るって、すごーい失礼な発言して帰っていったことありましたよね」
「あった、あった。進藤めちゃくちゃ怒ってさ。2日くらいまともに話してくれなかったよなー。オレ、マジでへこんだもん」
「まっさかー。新谷さんがへこむなんてありえない」
「…バレた?」
「バレバレです」
「でも、異動の内示が出た時はへこんだよ」
まるで花火がずっと遠くにあるような、そんな目をしてつぶやいた新谷の横顔に思わず見とれる。
「え?…だって昇進だし、栄転じゃないですか」
「あぁ、そうなんだけどな。内示が出た段階でさ、一応部長には打診したんだ」
「打診?」
「…進藤も連れて行きたいって」
「へ?私?…え?なんで?」
新谷の視線が戻ってきて、まっすぐ私を見つめている。
「…だから」
ちょうど花火の音で、肝心な部分が聞こえない。
「え?」
聞き返した私を見て、あいまいに笑ったまま、また遠くを見るように花火を眺め、黙ってしまった。
連発の花火が一段落したのか、ふと静寂が訪れる。
「…新谷さん?」
「ま、優秀な人材を簡単に他の支社に持っていかれてたまるか、って怒られたよ」
「はぁ…」
「あと、公私混同するなってさ」
「公私混同?」