拘束・汚辱-1
6月中旬。すっきりしない雨模様の空が何日も続いていた。
「今年の夏は、どうするの?」真雪が控えめに訊ねた。
ケネスが答えた。「さすがにまたハワイっちゅうわけにはいけへんな。」
「せっかくの夏休み、またみんなでお泊まりしたいよね。」マユミが微笑みながら言った。
きれいに掃除され、がらんとした暖炉の前で、ケネス親子4人はティタイムを愉しんでいた。日が長くなったとはいえ、そろそろ屋外にはたそがれが迫りつつあった。
「去年は強烈な旅行だったからなー。」健太郎が独り言のように言った。
ケネスがコーヒーを飲む手を止めた。「何を以て『強烈』なんや?健太郎。」
「え?い、いや、ケンジおじの飛行機嫌いだとか・・・、そうそう、プールでの競泳大会、あれ、強烈だったじゃないか。」
「お前、今思い出したように言うたやろ。他に何か強烈な出来事があったんか?」
「べ、別にないよ、そんなもの。」健太郎は言葉を濁してテーブルのチョコレートに手を伸ばした。ケネスとマユミは顔を見合わせて笑った。
「例えば、」ケネスが口を開いた。「仮に今年も8月3日に合わせて出かけるとすると、お前らのスケジュールはどうなんや?」
「スケジュール?」
マユミが言った。「部活とか、課外とか、いろいろあるでしょ?多分あたしたち7人の中であなたたち二人が一番忙しいと思うよ。」
「もう高校総体の県大会は終わったけど、ケン兄はブロック大会出場だね。」
「ああ。めでたくな。でもま、それも7月半ばには終わる。」
「全国大会には行けへんのか?」
「その可能性は低いと思うよ、父さん。万一出られるとしても全国大会は8月17日からだから、何とかなるよ。」
「そういう心掛けやから全国制覇できへんのやで。」
「父さん、息子に期待し過ぎ。」
「どないする?ハニー。」ケネスはマユミを見た。
「ケン兄たちにも聞いてみるね。」
「是非、前向きに。」健太郎が言った。
「検討してください。」真雪も言った。
その夜、真雪は自分の部屋で一人、ベッドに腰掛け、フォトアルバムを開いて見た。去年の夏のハワイでの写真が貼られているページを眺めながら、楽しかった時間を思い出していた。双子の兄健太郎と、いとこの龍とともにプールサイドで写っている写真のページで手を止めた。三人とも競泳用の水着姿だ。シンプソン家と海棠家の家族対抗で競った水泳大会の直後の写真だった。真雪は顔を上げてドアの横に貼られた小さなポスターに目をやった。それは『Simpson's Chocolate House』のパンフレットの一つに使われた写真だった。そしてそれは真雪本人が微笑みながらシンチョコの店の前でアソート・チョコレートを手に持って立っているという構図だった。
「あれから一年も経ってないのに、龍くん、逞しくなったよね。」真雪は独り言をつぶやいた。そして少し伸びた髪をかき上げた後、パジャマ越しに自分の胸に手を当てて、小さなため息をついた。
「龍、なんでお前、理科だけこんなに点数が低いんだ?」ケンジが中間テストの成績表を見ながら言った。
「だって、苦手なんだ。」変声の済んだ低い声で龍は言った。
「苦手、ってわかってるなら勉強しろ、勉強。」ミカが食卓の皿を片付けながら言った。
「できるならやってるよ。とっくに。」
「他の教科はとりあえず及第点をとれてるんだから、理科だけ凹んでたらお前も気持ち悪いだろ?」
「まあね。」
「よく解ってないところがわかってるなら、放課後あたり、理科の先生に質問してみればいいじゃないか。」
「えー、めんどくさいよ。」
「中学校は勉強するところ。先生だって、教えるのが商売なんだから、聞けば親切に教えてくれるよ。」ミカが少し優しい口調で言った。
「うーん・・・・。」