拘束・汚辱-3
「ただいまー。」龍は玄関のドアを開けた。奥からミカの声が聞こえた。「おー、龍、帰ったか。お客さんだぞ。」
龍は玄関に並べられた履き物を見た。「あ!」そして大急ぎで自分のシューズを脱ぎ捨てると、どたどたとリビングに駆け込んだ。「マユ姉!」
「龍くん、お帰り。」
「ど、どうしたの?いきなり。」龍は膨らんだ鞄を床に投げやり、ソファに座っている真雪に近づいた。
「ちょっとね、届け物。」
「チョコレート持って来てくれたんだぞ。」エプロン姿のミカが言った。
「ほんとに?」
「そうだよ、龍くんの好きなミルクチョコレート。新しくパパが改良したんだよ。他にも、いろいろね。」
「ありがとうマユ姉。」
真雪は自分の前に立って嬉しそうに微笑んでいる龍を見上げた。「ほんとにずいぶん背、伸びたね、龍くん。もうちょっとでケン兄と同じぐらいなんじゃない?」
「今年になってから急に身長が伸び始めたんだ。」
「毎日、水代わりに牛乳ばっか飲んでるからな。」キッチンからミカの声がした。
「牛乳好きだもんね、龍くん。」
「うん。好き。」龍は無邪気に笑った。
「でも笑顔はまだ子どもみたいだね。」
龍は少し赤くなって頭を掻いた。「ごはん食べていくんでしょ?」
「ごちそうになっていい?ミカさん。」真雪はキッチンのミカに顔を向けた。
ミカは生野菜を刻みながら言った。「4人分作ってるんだ。今さら帰られても困るんだがな。」
「やった!」龍はガッツポーズをした。
「ケンジおじ、」
「なんだ、真雪。」ケンジがビールのグラスを持ったまま答えた。
「龍くん、ずいぶん逞しくなったよね。」真雪はサラダにドレッシングをかけながら言った。
「そうだな。でもまだお子ちゃまだ。中身はな。」
「悪かったね、お子ちゃまで。」真雪の横の龍が言って、ごはんを口にかき込んだ。
「成績はどうなの?中間テスト終わったばかりじゃない?」
「それがねー、」ミカが言った。「理科だけ、落ち込んでるんだ。」
「理科?」
「そうなんだ。」
「僕、今日の放課後沼口先生に教えてもらった。」
「そうか、」ケンジが言った。「さっそく教えてもらったか。」
「うん。でも、今日はちょっとだけ。僕の苦手なところのプリントを明日準備してくれるんだって。」
「へえ、いい先生じゃないか。」
「沼口先生はあたしの中三の時の担任だったんだよ。」
「そうなの?」
「仕事をきちんとされる先生でね。女子生徒に人気だったよ。」
「マユ姉も?」
「あたしはそれほどでも。」
「ふうん・・・。」
「でも、あたしも一度だけ教えてもらったこと、あったよ。受験前に。」
「へえ。」
「とっても親切に教えてくれて助かった。」
「真雪のお墨付きか。どんどん利用しな、龍。」ミカが言った。
「じゃあね、ミカさん、ケンジおじ。」玄関で靴を履いて、真雪が言った。
「ああ、またいつでもおいで。」
「ケニーたちによろしくな。」
「わかった。伝える。」
「ちゃんと家まで送るんだぞ、龍。」
「わかってる。」
「変質者が現れたら闘え。」
「しっかり真雪を守るんだぞ。」
「いや、ミカさん、大げさだから。」
龍と真雪は玄関を出た。『Simpson's Chocolate House』は海棠家からいくらも離れていなかった。二人の足なら歩いて10分とかからない距離だった。
「ごめんね、龍くん、送ってもらっちゃって。」
「気にしないでよ、マユ姉。いちおう夜だし、最近は物騒だって言うし。」
「一人で帰る時、龍くんも気をつけなよ。」
「え?何で?」
「今は男のコを狙う変質者もいるって言うから。」
「大丈夫だよ。」龍は笑った。
真雪は歩きながら唐突に龍の手を握った。
「えっ?!」龍はびっくりして、真雪の顔を見た。
真雪は正面を向いたまま微笑みながら言った。「ちっちゃい頃、よくこうして手を繋いでたよね。」
「そ、そうだったね・・・。」
「でももう龍くん、あたしより背高いし、不釣り合いかも。」
「そ、そんなことないよ。い、今でも僕・・・・・。」
真雪は龍の手のひらが汗ばんできたのに気づいた。
通りの角を曲がり、すぐそこに『シンチョコ』が見えてきた。真雪は立ち止まった。龍は慌てて真雪の手を離した。
「龍くん、」
「え?な、なに?」
「あたしと付き合わない?」
「え?」龍は真雪の今の言葉の意味がとっさによく理解できなかった。
「あたしの彼氏になってくれない?」
「ええっ!」龍は真っ赤になってうろたえた。
「あたしのこと、きらい?」
「す、すっ!すっ!好き!マユ姉、本気で言ってるの?」
「本気だよ。」
「ぼ、ぼっ、僕と、つっ、つっ、付き合ってくれるの?」
真雪は少し背伸びをして口を龍の顔に近づけ、素早くキスをした。ほんの一瞬の出来事だった。
「マ、マユ姉っ!」
「じゃあ、またね、龍くん。送ってくれてありがとう。」そう言うと真雪は『シンチョコ』に向かって駆けていった。