涼子とヒモ君-1
金曜日、涼子と終業が同じ時間だったので、駅まで一緒に帰る事になった。今日は課長は終日出張で、お泊りのお招きも無かったから。
私は鞄に携帯を入れ、涼子はお尻のポケットに携帯を入れた。
「お先です」
「お先に失礼します」
在席表のマグネットを「帰宅」にし、居室を後にした。
「あれからヒモ君からの連絡はあったの?」
「ううん。全然。何処で何やってんだか。まぁもう別れたも同然だから、考える必要もないのかなって」
そう言葉では強がっていたが、横顔は曇っていた。彼女らしくなかった。
「それでいいの?」
彼女の顔を覗き込みながら訊いた。
彼女は私から視線をそらすようにして顔をそむけた。
「良いも何も、どうする事も出来ないでしょ、この状況」
会社のエントランスを抜けると、目の前に川がある。その柵に寄り掛かる一人の男性がいた。横にはフェンダーのベースケースが置いてある。
「大輔――」
「へ?何、ヒモ君?」
彼には聞こえない様に「ヒモ」という言葉を吐いた。
彼はベースを背負ってこちらへ歩いてきた。予想していた「ヒモ君」より全然しっかりしていそうに見えた。
涼子の前に立つと、口を開いた。
「行く場所が、ねぇんだ」
「だから何」
涼子は酷く冷たい声で言った。彼は涼子の顔をじっと見た。
「帰る場所はお前の所しかねぇんだ」
涼子は黙っている。何か言いたいのに口に出来ないでいる様子で口元を震わせている。
「店長とは、ちゃんと話して、もう一度雇ってもらうから。ちゃんと働くから。だからお前の横にいさせてくれ。帰りたいんだ」
涼子はこちらへ向くと、私に「ごめん、先帰って」と言った。その目には何か揺れる物が煌めいていて、もうすぐ零れるんだろうなと予想が出来た。
「じゃぁ、お先に」
そう言って私は歩き出した。
彼は「帰る場所」と言った。帰る場所がある恋愛。とても幸せな事だ。
そこに帰れば好きな人の笑顔が待っている。誰かが自分を待っている。それは恋愛ではなくても、結婚にしたって同じことが言える訳だ。
私は――帰っても誰もいない。恋をしている相手には、「家庭」という名の帰る場所がある。課長がいくら「ここにいる間は」と言っても、時が去れば必ず、彼はそこに帰る事になるのだ。
不毛な恋愛、分かっていながらそんな風に思った。