花退治-2
山の緑。海の青。稲穂の黄。いや、違うのは、陽光の色だ。薄沙を通したような、わずかな翳りがどこまでもつきまとう。
その翳りがどこかしら、鬼の息づくにふさわしい。
そんな感想を抱いて、彼は苦笑した。
ふさわしいもなにも、鬼が北に多いのは周知のことだ。
中務省から追うべく依頼される鬼は、かつて奥州にあって蝦夷と戦い、後に管理機構の混乱で暴走し野に放たれ、南下してきたものなのだ。
戦略兵器であるから、もちろん人を傷つけないことを原則とする使鬼の三法も刷り込まれていない。当初は多くの犠牲が出たという。
とはいえ、鬼追いが狩り残したものはまだいるだろうが、それとて保全も施さずに百年以上も動き続けていられるものではない。
妖物、怪異の噂はいつまでも絶えないが、その大部分がすでに征夷軍の鬼とは無関係なのではないかと彼は思っている。
実際、噂を追いかけてみたらただの野盗だったり、土蜘蛛、蝦夷の残党だったりもした。
だからこそ、稀少な鬼追いでありながら気ままな旅暮らしなどしていられるのだ。
今回の対象も、どうも違っていた。
村外れに住みついて、村人をおののかせていたのは、彼の見立てではまず間違いなく、未登録の鬼だった。
在野の学者が興味のままに、あるいは私欲のために作ったものだ。
「よう」
村の北外れの丘に、粗末な小屋が建っている。彼は戸も叩かず、火の気のない屋内に踏み入った。
ピィ。
彼のかけた言葉に、返事のように笛の一音が響いた。否、それはまさに返事だった。
小屋の中には一人の女が微笑んでいる。彼女の発した第一声というわけだ。
つまりその女が鬼だった。
七日前に彼が初めて訪れる前から、彼女はすでに人の言葉を失っていた。
発声器官が劣化し、鬼語しか発することができないのだ。
だが彼女は正しく発音されているときと同様に赤い唇を動かし、まぶたを瞬かせ、長い睫毛を震わせた。
人型鬼は精緻を極めた細工物だ。皮膚の質感や髪や睫毛、骨格の素材までもできる限り人のものに似せて作られる。
だがこの鬼は……
女は上目遣いに彼をみとめると身を起こし、跪いて頭を垂れた。
自然な動きだ。どこにもからくり様のぎこちなさはない。よくできている。
そう。この鬼は、とてもよくできている。
専門の鬼追いが間近に見ても、一見して鬼と判別する材料はない。声さえひそめていれば人に混じっても気づかれないだろう。
にも関わらず、村人の証言は一様だった。数ヶ月前に村外れに鬼女が住み付いた、と。
鬼の出現は一般に、人が食われたり村が荒らされることでそれと知れる。あるいは集落の中に、数十年も姿形が変わらない者がいて、鬼ではないかと囁かれるようになる。
だがこの鬼は数ヶ月前に現れたばかり、それから誰一人食われてはおらず、また全く村に関わっては来ない。
ではどのようにして村人は彼女が鬼だと知ったのか。
答えはとても簡単だった。
髪も目も、皮膚も爪も、体は間違いなく人そのものだ。
だが、常人とは思えない装いをしていた。
改めて女を眺める。
凝った形に高々と結われた髷に、花鳥の織られた錦の衣。金に銀。朱に赤。藍。黄。
背景はといえば、雪。雪の丘、雪空。枯れ木。
墨色の濃淡だけで構成された世界に、否応なしに浮かび上がる。
墨染の衣に薄汚れたひげ面の永昌には、単色の己の方こそ幻かと、錯覚してしまいそうな彩りである。
きれいだ。
が、確かに異常だった。