彼女の正装-1
3月14日。会社の最寄駅でリンと待ち合わせをした。
駅に着くと、改札を出た所に彼が立っていたので、ダウンのポケットから片手を出して手を振った。彼も同じように、ミリタリーコートから手を出しヒラリと手をあげた。
「彼女、この辺に住んでるの?」
「あぁ。会社もこの辺だからな。お前にもお返し買ってあるから、後でな」
口数少なく歩く道のりは、何度か通った事がある道だった。悪夢が、現実になろうとしている。このコンビニの角をまがる。そしてあのゴミ集積所を左に折れて――。
目の前にあったのは、あの白いマンションだ。
「あの、さ、もしかして5階?」
エントランスの前で足を止めて、訊いた。
「は、何で分かった?」
彼も足を止め、不思議そうに私を見ている。
やっぱりそうだったのか――。
「中田理沙、さん?」
「何なんだよ、お前、いつから知ってたんだよ?」
眩暈がして、その場にしゃがみ込んだ。
そうかもしれないけれど、そうじゃなければいい、そう思っていた。
受け入れがたい現実を突きつけられて、「人って酷く動揺すると涙が出るんだ」と思った。視界が歪み、溢れた涙が下睫毛をしならせて、そして地面に落ちる。顔が、醜くこわばる。
私の隣にリンがしゃがみ込み、温かい掌を私の背中に置いた。
「どうした?ゆっくり説明してくれよ」
私は彼に腕を引かれ、エントランスにある来客用のソファに腰掛けた。ある程度涙は引いた。
「私の、高校の同級生なの」
うん、と静かにリンは頷く。
「こっちで偶然再開して、一緒にお茶したりするようになって、仲良くなって」
「俺の事は何も言ってなかったのか?」
どう説明すれば良いのか、言葉を探った。
「クリスマスに電話が来たでしょ。彼女からだったんだ。彼氏はアメリカに出張だとか、忙しいからとか、仕事が一段落したら結婚するとか、幸せそうな話しか聞いてなかった」
自然に顔が足元を向く。あぁ、うんざりだ。
「お前はいつから気づいてたんだ?」
「まぁ、最近だけどね。でも兆候はあった。伊香保のお土産屋さんの包装紙と同じ物がタイミングよく彼女の家にあったり、彼女も安定剤飲んでたし。パン教室に通っていたり。点だったものが、バレンタインのメッセージカードの名前を見て、線になった」
リンは俯いて頭を抱えたまま言った。
「あいつは、理沙は気づいてるのか?」
「分からない。でもいつだったかリンと歩いてる所を見られた、と思う。他にも、私がヒントになる言葉を喋ってたかもしれない。あ、名刺――」
彼は顔をすっとあげた。「名刺?」
「私、バツイチなんだ。今は新姓を名乗ってるんだけど」
鉄砲玉を食らったような顔をしたリンがいた。口をあんぐり開けていた。
「彼女は私を旧姓の『落合』で呼んでてさ。新姓の名刺を渡したら、明らかに動揺してたんだ。リン、彼女に私の名前、教えたんだよね?」
「あぁ」と短く言ってまた俯いた。両手を組んで、難しい顔をしているのが分かる。
「知ってたとしたら、どうしてあんなに私に優しくしてくれてたんだろう――」
すっと立ち上がった。私はリンを見上げた。
「アイツ、昨日電話した時、すげぇ鬱っぽかったんだ。やばいかもしれねぇ。急ごう」
躁鬱病についてインターネットで調べた時に読んだ。鬱状態から躁状態に移行する際に、自殺が多い――。まさかそんな事は。