20年来-1
小さな丸いテーブルを挟んでアヤカとケンジは向かい合った。
「思えば、あれからお前と一度も言葉を交わさなかったな。」ケンジが少し申し訳なさそうに言った。
「無理もないわよ。」アヤカが運ばれてきたアイスティにシロップを入れながら言った。
「別に避けてたわけじゃないんだけど、なんて言うか、こう話すきっかけがつかめなくてさ。」
「あたしもあれきりマネージャーやめちゃったしね。」
ケンジはコーヒーカップを手にした。
「今のだんなとはいつ知り合ったんだ?」
「彼は日系二世でね、私と同じ大学で当時一緒に学んでたんだよ。」
「もともとサンフランシスコの人なのか?」
「そう。大学出て婚約して、店を持つことが決まってから結婚したんだ。」
「そうか。よかったな。幸せそうだ。」
「海棠君が言った言葉を私、まだ忘れてないよ。」
「え?」ケンジはカップを口から放してアヤカを見た。
「『アヤカのことをわかってくれるヤツがきっと現れるよ。』って言ってくれたこと。」
「もう、ずいぶん昔のことになってしまったな・・・。」
「そうだね。今から20年も前・・・。」アヤカは目を伏せた。
ケンジは小さなため息をついてコーヒーを口にした。
「でもね、」アヤカがいたずらっぽく微笑みながらケンジに身を乗り出した。「私のだんな、Mなんだよ。」
「ええっ?!」ケンジはカップをテーブルに戻して、にわかに赤くなった。
「実は、縛られてされるの大好きなんだ。」
「そ、そうなのか?っつうか、お前まだそんなことしてるのかよ。」
「ケンジくんをあんな目に遭わせてから、私目覚めたかも。」
「目覚めた、ってお前、あんなことしたの初めてだったのかよ。」
「うん。」アヤカはあっさりと言った。「ケンジくんが最初で最後の犠牲者。」
「お、お前なあ!」
「本当に、あの時はごめんね。傷つけちゃって・・・。」アヤカはしんみりとした口調で言った。
「あれから俺、黒いレザー張りのベンチ見ると、左腕が勝手に痛む。トラウマになってんだぞ!」
「えっ?!本当に?」
「嘘だよ。」
「驚かさないでよ。ああびっくりした。」
「ごめん。ちょっとした仕返しだ。」ケンジは笑ってコーヒーを一口飲んだ。
「良かった、あなたにまた会えて。」
「俺もだ。いつかこうして笑って話せる日がくるのを、俺ずっと心の奥で待ってたような気がする。」
「あたしも。」飲み干したグラスをテーブルに戻してアヤカは言った。「これでずっと心の底に残っていたものが吸い出されてなくなった気がする。」
代金をケンジが支払い、二人はテーブルを離れた。
「元気でな、アヤカ。」ケンジがアヤカの左肩に手をそっと置いた。
「うん。あなたも、みんなと幸せに。」アヤカの右手がケンジの左手を握った。
しばらく二人は見つめ合った。
「それじゃあ、飛行機の時間があるから。」
「ああ。」
ケンジはカフェの前に立ち、アヤカを見送った。サングラスをかけ直してアヤカはホテルの陰に消えた。