競泳大会-2
プールの真ん中の2コースのスタート台に健太郎と龍が立った。キャップをかぶり、ゴーグルをかけたその二人の姿に、プールサイドの何人かの客が顔を上げた。コーヒーを飲んでいた白人の初老の男性はサングラスを額に上げ、眉をひそめて二人を見た。
「よーい!」マユミの声が響く。龍と健太郎がスタート台の上で静止した。
ピッ!笛の音と共に二人は同時に飛び込んだ。バサロから顔を先に挙げたのは龍だった。プール中央まではそのまま二人はほぼ並んでいた。しかし、体格の差は、さすがに龍には不利に働いた。それでも一瞬遅れただけで二人は壁にタッチした。
真雪とミカがほぼ同じタイミングで飛び込んだ。二人は同じようなフォームで抜き手を切って進んでいく。
「ミカの腕、長く見えるだろ。」
「ほんまやな。」
「伸びの良さは彼女の最大の武器なんだ。」
「きれいなフォームや。」
プールの中のミカは実際よりも細く、長身に見えた。そしてそのミカに指導を受けている真雪も同じように美しい泳ぎを披露していた。プールサイドに近づいてくる人が現れ始めた。その中にサングラスをかけた一人の日本人女性がいた。
「さあ、俺たちの番だぜ、ケニー。」
「そうやな。久しぶりや。手え抜くんやないで。」
「ガチで勝負だ!」
「望むところや。」
「いよいよ父さんたちの番だ!」龍が叫んだ。「がんばれっ!負けるなーっ!」
真雪とミカはほぼ同時に壁にタッチした。ケンジとケネスは大きく宙に躍り出た。そして水中での文字通りイルカのように力強いバサロ、全く同じタイミングで水面に頭を出した二人は腕を豪快にリカバリーさせた。
「すごい!」健太郎が驚嘆の声を上げた。「完璧なフォーム・・・。バタフライに関しては俺たち絶対先生にはかなわないな・・・。」
「うん。かなわない。」龍も言った。
「父さんも負けていないね。」真雪だった。「なんだか泳いでる時の父さんって、すごくかっこよくない?」
「かっこいいよね。」横に立ったマユミも言った。「パパの泳いでる姿、ほれぼれする。いつ見ても。」
ケンジとケネスは一往復だった。ずっと同じスピードで二人は片道を泳ぎ切り、まるで鏡にでも映っているかのように同じ動きで同時にターンをした。いつの間にかプールサイドには人だかりができていた。いろいろな言語で声援が飛ぶ。日本から遠く離れたここハワイのリゾートホテルのプールは異様な熱気に包まれていた。
「あと5メートル!」真雪が叫ぶ。
「ほとんど互角っ!」健太郎も叫ぶ。
ケンジとケネスが同時に壁にタッチした。その瞬間プールを取り囲んでいた観衆が大歓声を上げた。飛び上がって騒ぐ小さな子供もいた。大きな拍手に包まれて、ケンジとケネスはプールの中で腕を絡めたあと、抱き合ってお互いの健闘を讃え合った。
「な、なんだか大騒ぎだな・・・」プールから上がったケンジがキャップを脱ぎながらそうつぶやいた。
「ほんま、えらいことになってしもうたな。」
「あー気持ちいいっ!」ミカだった。「あんなにたくさんの人に見られながら泳ぐのって、久しぶり。」
何人かの外国人が拍手をしながら彼らに寄ってきて、早口で話しかけた。その都度ケネスは受け答えをしなければならなかった。
「みんな褒めてるで。ええもん見せてもろうた、言うて。」
「そうか。なんだか照れる。」
「素晴らしい子どもたちや、大人顔負けやで、とも言うてる。」
健太郎、真雪も照れて頭をかいた。
「一番ちっちゃな少年は、きっと将来大成するに違いない、あんなに美しい平泳ぎは初めて見さしてもろたって、このおっちゃん言うてるで。」
「ほんとに?嬉しいな。」龍は笑顔をはじけさせた。
その時、彼らの泳ぎをずっとプールサイドの人垣の中から見ていた一人の日本人女性が彼らに近づいた。そしてケンジの前に立つと、言った。
「相変わらず豪快で、素晴らしいフォームのバタフライだったわね。」
「え?」ケンジはその女性の顔を見た。
彼女はゆっくりとサングラスを外した。「海棠君、久しぶり。」
「アヤカ!」
「こんなところで会えるなんてね。マユミもケニーも久しぶり。元気にしてた?」
「おお、アヤカはんやないか。」
「みんな元気だよ。」マユミも笑顔で言った。
「結局マユミとケニーは結婚したみたいね。」
「そ、そうやねん。」
「お似合いよ。」
「ありがとう。」マユミが言った。「でも偶然ってすごいね。このホテルに泊まってるの?」
「泊まってたけど、今夜戻る。」
「日本に?」
「ううん。私、今サンフランシスコに住んでるの。」
「へえ!」
「だんなが日本食レストランやっててね。」
「そうなんだ。」
「誰なの?」ミカがケンジの隣に立った。
「ああ、彼女は高校んときの部活でマネージャやってたアヤカ。」
「始めまして。アヤカです。」アヤカは手をミカに差し出した。
「始めまして。あたしはミカ。ケンジの妻よ。」ミカはアヤカの手を握り返した。
「素敵な奥様ね、海棠君。」
ケンジは頭をかいた。
「ケンジの泳ぎ、どうだった?その頃と比べて。」ミカが言った。
「ますます磨きがかかった、って感じかな。大学でもずっと水泳続けてたんでしょ?」
「ああ。今は地元でミカとスイミングスクールやってる。」
「海棠君らしくていいね。」
「ちょっと話そうか、アヤカ。」ケンジはアヤカと一緒にプール脇にあるオープンキッチンの開放的なカフェに入っていった。