最後の夜-11
「おまえいつ帰ってくるんだ?ケンジ。」父親が珍しく息子に電話をしていた。「正月も帰って来なかったじゃないか。」
「いろいろと忙しくてね。でも、月末には帰れそうだ。」
「帰ってこい。母さんも寂しがってる。」
「わかってるよ。」
駅に降り立ったケンジを迎えたのはマユミとケネスだった。
「お帰り、ケン兄。会いたかったよ。」マユミはケンジに抱きついた。
「俺もだ、マユ。元気そうだな。」ケンジもマユミの身体を抱き返した。
「人目も憚らず、あいかわらず大胆なやっちゃな。」ケネスが笑った。
「どうだ、マユ、バイト、まだやってんだろ?ケニーんちで。」
「うん。夕方ちょっとの間だけだけどね。」
「もう、大助かりやねん。マーユはもはや手放せん戦力や。」
「へえ、すごいじゃないか、マユ。」
「えへへ。」
照れて頭を掻くマユミを見て、この妹を愛しいと強く思う気持ちがケンジの中に甦り始めた。
『Simpson's Chocolate House』の喫茶スペースで、マユミとケンジ、それにケネスは久々の再会を喜び合っていた。
「マユ、お前あと1年で短大出るわけだけど、その後のことは何か考えてるのか?」
「う、うん。あたしね、」マユミがケンジの目を見て言った。「ここで働かせてもらおうかな、って思ってる。」
「え?ここで?」
「そう。ここで。」マユミはココアのカップを手に取った。
「わいを始め、親父もお袋もマーユのことが気に入ってしもてな。今マーユが勉強してるマーケティングのことやマネジメントの知識がこの店には必要なんや。」
「そうか。マユも役に立ってるんだな。」
「自分ではそうでもないって思うんだけどね。」
「お前の好きなチョコレートに囲まれて過ごせるなんて、夢のようじゃないか。」
マユミはにっこりと笑った。「うん。」
「しっかり勉強しな。ケネスに迷惑かけないようにな。」
「わかってる。」
「ほんで、ケンジ、お前うまくやってんのか?大学で。」
「ああ。いい先輩もいて、親切にしてくれるし、大学に入ってタイムも伸びた。フォームも安定してきた、ってコーチにも言われた。」
「そうか、やっぱ専門機関だと違うんやな。」
「この前、新聞に出てたね、ケン兄。」
「え?ああ、あれな。そ、そんなに大きな大会じゃなかったんだけど。どうにか結果が出せた。」
「嬉しい。あたし、ケン兄があっちでがんばってる、ってことがわかるだけで嬉しい。応援してるからね。」
「ありがとう、マユ。」ケンジはコーヒーのカップを手にとって笑った。
「そうや、ケンジ、ちょっと二人だけで話がしたいんやけど。」
「え?」ケンジはカップをソーサーに戻してちょっと意外な顔をした。「い、いいけど・・・。」
「すまんな、マーユ、ここでチョコでも食べて待っててな。」
「う、うん。」
ケネスとケンジはテーブルを離れ、店の奥に消えた。マユミは少し不安な表情をして二人の背中を見送り、テーブルにほおづえをついた。
ケネスの部屋のある離れの前で、ケンジたちは向かい合った。
「ケンジ、」
「どうした、ケニー。」
「わい、マーユと付き合いたい。」
「なに?」
「お前からマーユを譲り受けたいんや。」
ケンジは唇を噛みしめた。そして絞り出すような声で言った。「お前にマユは渡さない。」
「このまま関係を続けるつもりか?ケンジ。不毛な関係を。」
「どこが不毛だ!俺たちは純粋に愛し合ってるんだ!お前に何がわかる!」
「わかってるから言うてんのや。このままではお前ら二人とも堕ちていくだけや。ええかげん目え覚ましたらどうやねん!」
しばらく黙っていたケンジは、決心したように顔を上げ、まっすぐにケネスの目を見た。
「俺と勝負しろ!ケニー。」
「しょ、勝負やて?」
「お前、俺のライバルだろ?お前が俺に勝ったら、俺はマユを諦める。」
「何あほなこと言うてんねん、そんなことして何になる。」
「マユが欲しかったら、勝負を受けろ!ケネス!」