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もうひとつの心臓
【大人 恋愛小説】

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36 志保-1

 鈴木さんの部屋に1泊させてもらい、翌日には鈴宮君の手を借りて、紅葉寮の六階に引っ越しをした。
 家財道具の殆どは明良が購入した物なので、それらは置いてきた。
 生活に必要な物は、新たに買い足す事にした。
 とは言え、この寮には最低限の家電が置いてある。電子レンジもトースターも、冷蔵庫もある。エアコンだって完備だ。
 となると、細々したもの、そうだな、フライパンとか?タオルとか?そんな物を買い足せばいいかな。

 鈴宮君は、私の引っ越しを手伝うために有休をとってくれたと言う。
 お礼をしてもしきれない。今度コーヒーをご馳走しようと思う。

 衣装ケースの中に畳んである服を、ハンガーに掛けてクロゼットに仕舞っていく。
 ワンピースが多いな、と思う。ワンピースはそれ1枚でコーディネートが決まって、楽なのだ。
 その他の服は、衣装ケースごとクロゼットに入れた。
 書籍や細々とした物は、段ボールに入れたままにした。
 明日もう1日有休をとった。テーブルを買いに行かないと。
 「買う物リスト」に「テーブル」を書き足した。
 荷物は大体片付いた(と言っても、段ボールはまだ数個ある)。
 畳んでおいた布団に寄り掛かると、ズズと身体は水平になっていく。
 白いクロス張りの天井を眺める。真っ白だ。

 明良は今頃警察署に拘留されているんだろうか。
 引っ越しで家に戻った時には、明良の姿は無かった。鴨居にはスーツが掛かったままだったところを見ると、仕事に行った訳でも無さそうだった。
 あの時、私は彼の暴力から逃れようと、必死で逃げた。
 そして鈴宮君は明良にこっぴどく殴られ(翌日の顔は青紫だった)、明良は警察に捕まった。
「大丈夫、少し我慢すればすぐ終わるから」
 そう思って毎回耐えてきた。雷が鳴っても、明良に殴られても、明良に犯されても、いつも思い浮かべるのはこの言葉だった。
 あの日、この言葉を呼び起こしていたら、鈴宮君は殴られず、私は明良の横にいただろう。

 テレビも無い部屋の中、冷蔵庫から低い呻き声の様な音だけ聞こえてくる。1人でいる事をこれ程孤独に感じた事が、あっただろうか。
 親に捨てられたあの日から、人目を忍んでしくしく涙を流す私の背を擦ってくれた手を思い出す。
 人の掌って、こんなに温かいんだと感じた。明良に守られ、明良に頼り、明良に縋り、明良を愛してきた。
 結局依存していたのは、私の方ではないかと気づく。
 心臓の真ん中に小さな穴が出来ている。そこに吹き込む風が、隙間風となって反対側に抜ける音がする。幻聴か。
 寂しい。隣に居る筈の明良がいない。喪失感が心を支配する。
 私を守ってくれた、あの温かい掌を無くした。

 愛ゆえに周囲を傷つける明良。私1人が我慢すれば、少なくとも周囲を傷つける事は無かっただろう。
あの時、咄嗟に逃げようと思った自分の行動を悔いた。


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