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もうひとつの心臓
【大人 恋愛小説】

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26 志保-1

 昨日の蹴りは酷かった。あれは完全に赤ん坊を殺す気だった。
 私は何とか身体を丸めて守ろうとしたけれど、守れたかどうか自信が無い。
 今日この研修中も、時々蹴られたところがじんじん痛んだ。
 今朝着替える時に身体を見たら、見事に痣があちこちに出来ていた。

 幾ら自分を独占したいからと言って、2人の間に出来た子供を憎むなんて――そしてそういう人を愛している自分って――。

 研修は、プレゼンテーション技術を学ぶという物で、要は毎月やっている月例報告会と同じ要領でやればいいだけの事。
 何とも無意味な研修だった。
 久しぶりに本社の同期連中とも顔を合わせたので、ひと通り声を掛けて帰った。

 帰りの電車で鈴宮君と一緒になった。鈴宮君とは研修のグループが違ったが、終了時間は一緒だったので帰りの電車で乗り合わせた訳だ。
「志保ちゃん、これから暇?」
「暇だけど、どした?」
「お茶してかない?」
「うん、いいけど」
 一瞬、明良の事が頭を過った。街でばったり会わないように気を付けないと。それから、席は窓際ではなくて奥。


「それで、どうした?」
 私はソイラテを頼み、鈴宮君はブラックコーヒーを頼んだ。今日も鈴宮君がご馳走してくれた。
「彼女と別れたんだ」
 ブラックコーヒーに行きを吹きかける鈴宮君から、香ばしい匂いが香った。
「何人?」
「3人」
 えっ、と思わず驚きを声に出してしまった。
「一気に3人?」
「うん。惚れた人に想いを告げる前に、全部清算しようと思ってね」
 口を半開きにして、声も無く2回程頷いた。
「あー、良く、頑張ったねぇ」
「おぉ、結構骨が折れる作業だったよ。捨て猫を拾ったのに、またそこに捨てに行くみたいな感じ」
「あ、それは辛い」
 でも、自分から惚れた訳でもない人と付き合い、関係を持つ事だって辛い事だろう。
 今まではそれが「相手の為」だと思っていたらしいが、「自分の為」に自分が幸せになろうとは考えなかったんだろうか。
 やっぱり鈴宮君は優しい。でも優しさを履き違えている部分もあるな、と思う。
 彼の想い人が、彼に振り向いてくれたらいいなと、思う。鈴宮君なら、相手を幸せにできるだろう。

「それをやりに横浜に行く前に、宮川さんに会ったよ、駅で」
 あ、昨日か。そこで私の話になった訳だな。
「何か話した?」
「うん、志保ちゃんは元気ですか?って」
「何それ」
 吹き出してしまった。そんな、久しぶりの人みたいな言い方。
「ほら、何か具合悪そうだったじゃん、先月だっけ?」
 あぁ、とだけ返事をした。職場にはまだ、妊娠している事を報告していない。

 鈴宮君が、急に姿勢を正して咳払いを1回した。と思ったらもう1回。もう1回して改まって言った。
「あのね、志保ちゃん。今日お茶に誘ったのはさ、俺の惚れた人ね、じつ――」
 血の気が引く音が聞こえるような気がした。お腹が――。
「タイムぅ、ちょっと待って、すっごいお腹痛いんだけど――」
 今まで味わった事も無い、下腹部にキリで穴を開け続けられるような痛み。嫌な汗をかいてきた。
「あ、まずいかも、これ、いたっ、イタッ――」
 俯くと、スーツの足元に赤い小さな水溜りが出来ていた。あ、もしかしてこれ――。
「鈴宮君、あの、ごめ、ん、イタッ、救急、救急車呼んでく――イタッ」
 鈴宮君が私の横に来て、身体を支えてくれた。店員さんに「すみません、急病人、救急車呼んでぇっ」と大声で頼んだ。
 鈴宮君に寄り掛かったまま、ぼーっと赤い血溜まりを見つめていた。そこから意識がすぅーっと遠のいた。


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