囚われのつがい-1
「う……」
板ばりの床に転がされ、皮紐で縛られた手首の痛みにラヴィは呻く。
髪を結んでいたリボンはとっくに解け、長い前髪がまた顔を覆い隠していた。
周りには屈強な体格をした数人の男が立ち、ラヴィを見張っていた。
赤茶色や薄い灰色など、髪の色はさまざまだが、どの男も金色の瞳を暗い室内でギラギラ光らせている。この部屋にいるのはラヴィ以外全員が、人狼だ。
(ここ……どこなんだろう……)
普通の部屋が三つは入ってしまいそうな、長方形のホールだった。
部屋の立派な造りから、元は立派な屋敷だったのかもしれないが、どうやら空き家も同然らしい。床も壁も汚れ、窓も鎧戸が閉められている。
調度品といえば古い猫足のテーブルが残るのみで、その上に小さなランプと花瓶が置かれていた、
こんな室内に置かれているのに、花瓶に生けられている草は、花こそついていないが瑞々しい新鮮なものだった。
恐怖で混乱の極みにある頭で、ラヴィは必死に状況を振り返る。
つい先ほどまで、ラヴィはバーグレイ商会のキャンプ地にいた。
昨夜ルーディに抱かれ、彼が一族から追われるいきさつを聞いた後、もう一度激しく求められ、眠るときも腕の中に包まれていた。
夜が明けはじめ、周囲の起き出す気配に、慌てて身支度を整えて朝食の支度を手伝い始めた。
ルーディは用心深く空気の匂いを嗅いでいたが、同族の匂いはしなかったらしい。アイリーンと何か打ち合わせるために、彼女の馬車へ向かった。
そして……あまりにも一瞬だった。
水を汲みに小川まで降りた時、近くのしげみが揺れたかと思うと、大きな影が飛び出して体当たりされたのだ。
息が止りそうな衝撃と痛みが走り、叫ぶ間もなく襟首を捕まえられ、しげみへ引き摺りこまれた。
襟首は掴まれたのではなく、狼の口に咥えられていたのだとそこで知る。
しげみの向こうで一人の男が手早くラヴィの口に布を詰め込み上から革紐で縛った。
手首も縛られ、輪になった腕の中に狼が頭をスルリと通し、ラヴィを背に乗せ全力で駆け出した。
人と狼の完璧なチームワーク。彼らは人狼に違いない。
異変に気づいた隊商の人間が叫ぶ声が聞えたが、他の人狼たちが隊商に襲い掛かっている間に、ラヴィを乗せた狼は林を失踪し、待ち構えていた馬車に飛び込んだ。
そして、しばらく街中らしい場所を走った後、この屋敷に運び込まれたのだ。
不意に、重々しい装飾の施された観音開きの扉が開かれた。
入室した長身の男に、周囲の男達がいっせいにひざまづく。
「族長、この娘です」
男は足音一つ立てないが、その足取りはずしりと重く、それでいてしなやかな柔軟さをそなえたものだった。
族長という事は、この男がルーディの兄、ヴァリオなのだろう。
床に転がっているラヴィを、憎悪すら感じるギラついた琥珀の瞳が睨み見下ろした。
人狼の族長はかがみこむと、ラヴィの胸元を掴んで引き起こし、首筋に顔を近づけルーディと同じように鼻を動かしてラヴィを嗅いだ。
ルーディにされた時には、あんなに胸がときめいたのに、今は恐怖しか感じない。
「ルーディの匂いが残っている。フン……確かにつがいのようだな。まことに重畳だ」
「……っぅ」
口に布を噛ませられているせいで、文句の一つも言えないが、無かったとしてもそれは難しかっただろう。
ルーディを愛しているのは確かだが、狼が平気になったのとは違う。しかもヴァリオは、むき出しの殺意を隠そうともしなかった。
止めようと思っても、恐怖にガクガク身体が震える。前髪を掴みあげられた。
「この傷は、我が眷属の爪痕か。悪くない」
ヴァリオの右手だけが狼のそれに変わり、黒光りする長い爪が迫る……本当にもうだめだと思った。
しかし、風を切る音と同時に、ブツリと切り裂かれたのは、前髪だった。
「顔がよく見えていたほうが、いっそう効果があるだろうからな」
バランスを崩して床に倒れたラヴィを見下ろし、ヴァリオは手を人間へ戻して、切り取った黒髪を払い落とす。
そして意外な事に、革紐の拘束を解いた。
「忠告するが、少しでも逃げようとすれば、二度と歩けぬ足になるぞ。命さえあれば、人質としての価値は残るのだからな」
凶暴な双眸が、本気で言っているのだと言葉以上に告げる。
そのときちょうど、廊下から数人の足音が聞えた。