赤の王族-1
石灰岩でできたイスパニラ王城は二重の高い塀と堀で守られ、華麗さよりも重厚さと実用性を重んじている。宮殿というより要塞という表現がピッタリだ、。
城は主の権威を表わすものだが、堅牢なこの王城は、まさしく現在のイスパニラ王そのものを体現していた。
イスパニラ国王の年齢は、すでに六十を超え、髪には白いものが目立ち始めている。
だが眼光はいまだ鋭く、若い頃から戦場で鍛えぬいた身体はなお逞しい。長身で胸も厚く、堂々とした王者の風格に満ちている。
王の半生は、戦いの連続だった。
少年時代から戦場で剣を振るい、類稀なき勇者として名を馳せた。
最年少で大将軍となり、ゆくゆくは兄王を立派に補佐すると思われていたが、兄王や親類と血みどろの闘争を繰り広げ、ついに自身が王座を手にした。
そして即位して三十年余り。イスパニラ国は不敗を誇り、ますます繁栄を極めている。
会議用の重厚なテーブルには、王の他に男女三人が鎮座していた。
王の次男セシリオと、次女のバルバラ。そして王弟のギスレ公爵だ。
王のもっとも濃い血縁者たちだった。
しかし、椅子にはまだ二つ空きがある。
重い沈黙が満ちる室内に、扉を叩く音が響いた。続いて甲冑姿の男が一人、入室した。
王の長男で、王太子であるリカルドだ。
三十代前半の顔は、日に焼けてするどく引き締まり、猛禽の類を思わせる。一戦士としても武将としても優秀で、若かりし日の王にも引けをとらないと言われる勇将だ。
身を包んでいる甲冑も冑も深紅で、冑の房だけが漆黒をしている。
この広大な軍事国家で十人しかいない“十本指”と呼ばれる将軍の証だ。
イスパニラ軍の軍装は、甲冑や階級章も赤を基調としている。
下級兵士はくすんだ褐色に近い色で、階級があがるほど鮮やかな赤になる。
精鋭の騎士を示す深紅の甲冑は憧れの的であり、兵たちの目標でもあった。
そして冑の房まで深紅一色の武装が許されるのは、王だけだ。
「ただいま戻りました。陛下」
父王の前で片膝をつき、頭を垂れてリカルドは挨拶の口上を述べる。
彼は一ヶ月前、遠い植民地で起きた暴動を鎮圧しに出向き、ようやく戻ったところだった。
「随分と遅かったではないか。たかが漁師どもの反乱程度に、何を手間取った」
ねぎらいの言葉一つかけず、強烈な眼光でイスパニラ王は、ひざまずく息子を睨む。
たかが、と言うが実際は壮絶なものだった。
港で肉体労働をこなす屈強な漁師達が、武器を輸入してきた船を乗っ取ったのだ。しかも彼らは死に物狂いだった。
イスパニラの国名を笠に着、駐屯地で気抜けしていた兵達は、とても太刀打ちできず本国に泣きついたのだ。
あと一日リカルドの到着が遅れていれば、あの地からイスパニラ軍は残らず叩き出されていただろう。
「返す言葉もございません」
しかし、父の気質をよく知っているリカルドは、膝を折ったまま淡々と謝罪する。
「ソフィアが手に入れたシシリーナ国は、お前が今まで攻め落とした領土全てを合わせてたより大きいのだぞ!王太子として恥じろ!!」
「……肝に銘じます」
短く返答するリカルドに、ようやく着席するよう目で促し、イスパニラ王は不機嫌そうな唸り声をあげた。
「セシリオ。ソフィアからは、まだ連絡が来ぬのか!」
次男のセシリオ王子は兄とほぼ同等の体格で、同じ黒髪だが、少したれ加減の目元のせいか、やや柔和な顔立ちだ。
子ども時代の落馬で、片足をひきずる後遺症が残ってしまったため、戦場には出ないが、幅広く深い知識の持ち主で、宮廷の文官を立派に務めている。
「静養地に迎えを送りましたが、医師から絶対安静との指示が出ており、面会謝絶だそうです」
「もっと腕のよい医者を送り込め!それくらい考えられんのか、愚か者!!」
不快感も剥き出しに、王は次男を怒鳴りつけた。
「ただちに手配いたします」
兄よりも、更に感情のそぎ落とされた声が答える。
静かに退室したセシリオを、王は不満げに眺め、兄は視線を向けることすらしない。
互いにまったく無関心なようだ。
部屋にいるただ一人の女性バルバラも、冷たい美貌を崩さず、そ知らぬ顔だ。
彼女は北方を守護する大貴族の妻になっていた。
美しいだけでなく踊りの名手でもあり、話術も巧みだ。件の貴族は、王ですら扱い辛かった頑固者だったが、彼女を娶ってすぐ魅惑的な妻へ骨抜きになり、王に意見する事もなくなった。
もちろんその縁談も父の命だ。
部屋の中で、ギスレ公爵だけが薄笑いを浮べていた。