庭の獣-4
一瞬、部屋の中がシンと静まりかえった。
「……ぁ」
こんなに怒りを露にしたルーディの顔を、ラヴィは初めて見た。
彼がゆっくり立ち上がって、ラヴィに近づく。
殴られると思い、思わず身をすくめた。
しかし、ルーディは手を上げたりはせず、黙ってラヴィの横を通り過ぎ、部屋を出て行った。
一人残された居間で、ラヴィは呆然と立ち尽くす。
“疫病神!!”
耳奥に、亡き姉の声が鋭く突き刺さった。
何百回となくリフレインしていたその声が、いつのまにかこの数日は聞えていなかった事に気付く。
ルーディのそばにいて、たわいない会話をして笑いあっているうちに、いつのまにか聞えなくなっていた。
“全部あなたのせいよ!!”
しかし、舞い戻ってきた呪い声は、容赦なくラヴィを嬲り罵り打ちのめす。
「あ……」
膝から力が抜け、床に崩れ落ちた。ガクガクと身体中が震える。
「ごめ……んなさ……ごめん……なさい…………」
ただ、ひたすら繰り返した。
私に出来る事なんか、もうそれくらいしかないのだから……
それから一日、二人は口を聞かなかった。
ルーディは部屋に籠もったまま出てこなかったから、ラヴィは作った食事をテーブルに置き、部屋の扉をノックしてから急いで自室に逃げ込んだ。
しばらくして食堂に行ったら、皿は空になっていて、なんとなくほっとして片づけをした。
やがて夜になり、ベッドに入ったが、寝付けなかった。
いつもなら、柔らかい布団に入ればすぐに気持ちよく眠ってしまうのに。
時折、夜中にルーディの研究室と庭をつなぐ窓の開閉する音が聞こえるが、それも夢うつつでまどろみながら聞くくらいだ。
けれど、今夜は妙にそれが気になった。
寝室の窓から外を見ると、満月に近い月が庭を照らしていた。
「ひっ!」
大きな四足の獣の影が、薬草園に映っていた。
金色の瞳が月光にぎらつく。
窓から飛びのいた拍子に転び、盛大に尻餅をついた。その痛みさえ気にならないほど、恐怖の奔流が背骨を這い登る。
「あ……あ……」
右頬の古傷から、まだ真っ赤な血がしたたりおちているような気がする。
床を這いずってベッドに飛び込み、必死で頭から布団にくるまった。
こんな都会に狼がいるはずがない。あれはきっと、ただの野犬だ。
しかし、一度わきあがってしまった恐怖は膨らむ一方だ。
「……ディ……」
無意識に、叫んでいた。
「ルーディ!!!ルーディーーーッ!!!!」
返事はなかった。
あんなに怒らせてしまったのだ。来てくれるはずなどない……
しかし数分後、階段を駆け上がる音がし、勢いよく扉がひらかれた。
「ラヴィ!?どうした!?」
ルーディは眠っていたのだろうか。
シャツは羽織っただけでボタンも留めておらず、靴も履いていない。
震えながらラヴィは駆け寄り、訴える。
「お、狼……狼が……庭に……」
「……見間違えたんじゃないかな?庭に狼なんかいなかったよ」
優しく宥められたが、首を振った。
「いたの!絶対に!!」
ルーディが小さくため息をついたのがわかった。
また怒らせてしまったかと思った瞬間、抱き寄せられた。
「じゃぁ、ここにいるよ。それなら怖くない?」
驚いて頬が熱くなったけど、逞しい胸板から伝わる体温と鼓動が、恐怖を拭い去ってくれる。
必死でコクコク頷いた。
「――昼間はごめん」
頭上から、ポツリとルーディの呟きが降ってきた。
「……え?」
「君の事情も知らないで、偉そうに説教なんかして……」
窓から差し込む月光が、ルーディの寂しげな顔を照らし出している。
「言われた通りだ。俺の悪いくせだよ。自分の理想や価値観を押し付けようとしてしまう」
「ルーディ……?」
「昔、それでなにもかもぶち壊して、大勢の人を不幸にしたのに……俺は、まだ懲りてなかったみたいだ」
見上げたルーディの顔には、深い苦悩が浮かんでいた。
二週間、同じ家に住んでいながら、ラヴィはルーディの事を殆ど何もしらない。
どうして錬金術師になったのか?
家族はいるのか?
今まで、どんな人生を送ってきたのか……?
「その時、ラヴィに言われたのと、同じ事を言われたなぁって思い出して……八つ当たりだったんだ。……本当にごめん」
「……ちがうの」
ぽろぽろと涙が溢れてきた。
「私こそ……全部……八つ当たり……だったの……ごめんなさい……」
気づけば、泣きながら告白していた。
「本当は……私のせいだったの……呪われてるの……凶星に……」