庭の獣-3
――そのケンカは、朝の新聞が運んできた。
ラヴィがルーディに買われてから、すでに二週間が経過していた。
「ふぅん、ソフィア姫……シシリーナ女王の帰国が、もう少し延びるんだって」
新聞を読んでいたルーディが声をあげる。
田舎では新聞など金持ちの嗜好品だが、イスパニラ王都では庶民の間でも気軽に読まれているらしい。
家庭教師に一通りの教育は受けたから、ラヴィも読み書きは出来る。
新聞にはでかでかと、『シシリーナ国のソフィア女王 静養のため帰国を延期』という見出しが書かれていた。
イスパニラ王の末娘ソフィアは、いまや国で一番有名な女性だ。
数年前、南西の富裕なシシリーナ国王の元に嫁いだが、今年の夏に夫が死去すると、そのままシシリーナの女王にとなったのだ。
そして一週間後に、父王に挨拶と会談をするために帰国する予定だった。
市場も店も、その話題でもちきりだ。
イスパニラの王には、男女合わせて四人の子がいる。
妾腹のソフィアは王位継承権からは遠いが、いまや一大国の女王だ。
王位を継ぐ長兄に匹敵する大出世だった。
彼女が帰国するのは、嫁いでから初めてで、王都をあげての帰国祝いが開かれる事になっている。
だが、それも先延ばしになるのだろう。
「そうそう、ソフィア女王の帰国祝いのお祭り、良かったら一緒に見物に行かないか?」
とても魅力的な誘いだった。
もう少しで、喜んで行くと返事をしそうになった。
だが……
「遠慮するわ」
お祭りも昔は大好きで、田舎の小さな収穫祭ですら、わくわくして待ち遠しかった。
しかし、このご面相では、物笑いの種になるだけだ。
それに……
「あんな野蛮で残酷な女を、喜んで出迎える気にはなれないもの」
つい、刺々しい言葉が口をついて出た。
ルーディが新聞から目をあげ、少し驚いたような顔をした。
「女王と面識があるの?」
「え?ないわよ」
「まるで、本人を知ってるみたいな口ぶりだった。口を聞いた事もないのに、どうして彼女が野蛮で残酷だってわかるのさ」
言葉につまり、思わず弁明した。
「だって……みんながそう言ってるわ……夫が死んだらこれ幸いとシシリーナ国を乗っ取った悪賢い女よ。きっとシシリーナの国民は酷い目に会ってるわ」
イスパニラに武力で植民地化されたラヴィの故郷では、ソフィアの評判は宜しくなかった。
残忍なイスパニラ王の性質を一番濃く継いでいる、無慈悲な鉄の姫。
目的の為には手段を選ばぬ女だと、もっぱら噂されていた。
シシリーナ女王になった件についても、かの国民が異国の姫を女王にしたのは、イスパニラの軍力を笠にきて国民を脅したのだろう。という噂だ。
ラヴィはその憶測をもっともだと思ったし、疑問を抱こうともしなかった。
ルーディの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「その『みんな』に聞いてみたら?ソフィア女王と個人的にお話をした事がありますか?って」
「……」
きまり悪くてたまらない。
自分が赤面してるのが判ったが、ムキになってラヴィは言い返した。
「あなたこそ、彼女と面会でもした事あるの?」
「無いよ」
「じゃぁ、偉そうに言わないで!!」
震える両手で、エプロンを握り締めた。
「野蛮なイスパニラ王の娘よ。野蛮な悪女に決まってるわ!」
「噂や先入観だけで判断して、相手を理解しようともしない事こそが、野蛮だと俺は思う」
ルーディの声は静かで、冷ややかだった。
「……っ!貴方は何の被害も受けなかったから、そんな事が言えるんだわ!!わ……私が奴隷に売られたのは、イスパニラ王のせいなのよ!!」
「え……」
八つ当たりとわかっても、収まらない怒りが口をついて出る。
「イスパニラの軍は高潔なんて、嘘ばっかり!あちこちの国に手を出して、殺しまわって!王都は規律を厳しくしてても、兵達は地方でやりたい放題だわ!」
イスパニラは確かに軍事国家だが、王都では軍の規律が特に厳しい。
いくら位の高い将軍といえども、むやみな横暴は許されない。
イスパニラ軍は、最強にして最高に気高い騎士団であるというのが、この国の誇りであり主張だった。
それを知ったとき、腹の底からわきあがった怒りを隠すのに、ひどく苦労したものだ。
大陸各地につくった植民地で、規律のたがが外れた兵士達がやっている事を、少しでも知っているのか!!
「私の実家はね、そこそこ裕福な貿易商だったの。国はイスパニラに占拠されたけど、税金を払って商売を続けていたわ。でも……アイツ等は、反逆者なんて言いがかりをつけて、襲い掛かってきた!お父様を殺して財産を取り上げるためにね!」
今までなるべく考えないようにして堪えていた涙が、せきを切って溢れ出した。
「姉さまは、何人もの兵に犯されて殺されたわ!私も奴隷市場行きよ!」
「ラヴィ……」
そこで、止めておけばよかったのだ。
けれど、止らなかった。
ルーディが、よりによってイスパニラ王の娘を庇うだなんて!
いや、他の人がソフィアを庇おうとけなそうと、ここまで動揺したりはしなかっただろう。ルーディだからこそ、嫌だった。
ひどく醜い焦げ付いた感情のまま、思ってもいなかった悪態が口から飛び出る。
「ルーディ……貴方はとってもいい人だわ!でも、貴方みたいにはなれない人だっているのよ!!自分の理想を押し付けないで!!」