22 漂流する-1
「いらっしゃい」
玄関のドアを開き、将太が部屋に入る。
「一昨日はごめんね。また例の上司がどっさり資料持ってきちゃって」
頭をぼりぼりと掻きながら頭を傾げた。
「別にいいよ。いつもの事だし。それに面白い人に出会ったし」
え?と頭を上げた将太は食いついてきた。
「誰、何それ?男?女?」
「男。新潟から来てるんだって。ひまわり君っていうんだけどね。以下省略」
予め淹れておいたコーヒーをカップに注ぎ、テーブルに置く。客人でもないのに、将太が家に来る時は必ず、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。コーヒーの香ばしい匂いに、思わず深呼吸をしてしまう。カフェイン浴だ。
「それにしても、入社2年目でそれだけの仕事をさせられるってのも、大変だね」
他人事だ。私は2年目だが、「やる事をやって帰る」を基本としているので、仕事が大変だと思った事が殆どない。会社のスタンスも違うのだろう。私の職場は「結果こそ全て」な感じだが、将太の職場は昔ながらの「馬車馬の如く努力したものが報われる」みたいな所がある。
「まぁね。家庭が出来れば上司も、考え方を変えてくれるのかなぁとも思うけどね。嫁さんが待ってるだろ、早く帰れ、みたいな」
そんな物だろうか。「ただの社風じゃないかなぁ」と呟きながらコーヒーとずずっとすすった。
「そんな訳でさ、ミキ、結婚しよう」
そうだよね、家庭が出来れば仕事も――
「――はぁ?今何つった?」
「だから結婚しようって」
何言ってんのこの人、仕事が大変だから結婚しちゃえって事か?仕事のし過ぎで頭パーンってなったのか?おかしくないか?
「ちょ、ま、落ち着け、落ち着け、特に私。結婚したからって仕事が楽になると決まった訳じゃないんだよ?」
手に持っていたカップを落としそうだったので、とりあえずソーサーに戻す。手が震えている。
「分かってるよ。仕事の事は、言い訳っつーか――ストレートにプロポーズするのが恥ずかしかったからちょっと遠回しに言ってみたまでで」
ストレートに言えよ、と思い、少し膨れっ面になった。
大概女という生き物は、プロポーズには全く勝手な憧れを抱いているものだ。高層ビルの最上階にあるレストランの窓際で、とか、夜の公園で、とか、セックスの後で、とか。婚約指輪が入った小さな箱をどこかに隠して。
それが何だ、この状況。お茶飲みながらしっぽりプロポーズ。老後の縁側かっ。
「断る理由はないけど、それでもちょっとだけ考えさせて」
「うん」
「それと、前にも言ったけど、私が誰と遊ぼうが誰と会おうが、過度に干渉しないっていうのは結婚後も続行ね」
「うん。他には?」
「考えついたら付け加える」
どうしてこうなるかな。どうして私ペースの付き合いになるかな。将太は何も言わない。何もかも、私の言う通りに、思うとおりにやらせてくれる。私は誰かを振り回したいわけではない。逆に、誰かに翻弄されたりしたい。恋愛の駆け引きなんかがあってもいいと思っている。そう、サトルさんみたいにふわふわの人との駆け引きなんて、最高で最低だった。
「ミキらしくていいね」
そういうと私の腰を抱いてキスを落とした。そして1週間ぶりのセックスをした。
「ちょっと落ち着け。本当にそれでいいの?まだ22歳だよ?やりたい事とかないの?」
タキは顔を真っ赤にしながら熱弁をふるっている。私が余りにもストレートに「結婚する」と言ったからだ。
「やりたい事なんてこれからやるよ。結婚は何つーか、区切り?別に何が変わる訳でもないし」
よく考えてみたら、結婚したら一緒に住む以外に、何か変わる事があるんだろうか。当面何ら変わる事はないと思うのだが。
「止めやしないけどさぁ、後悔しない?別に子供が欲しいとか、できちゃったーとか、結婚しないとまずい状況じゃないんでしょ?」
「ないよ、でもいつかするなら、今でもいいじゃん。断る理由が見つからない。相手を嫌ってもいないのに、プロポーズ蹴って、別れるってのもおかしな話じゃないですか」」
タキは額に手を当てて俯いてしまった。
「あんたには感服だよ。肝が据わってるよ。何も言う事はない。嫁に行け。そして帰ってくるな」
そう言って顔を上げ、チョコレートパフェの底にあったシリアルをぼりぼり食べていた。
タキは、職場に近い所にアパートを借り、1人暮らしをしている。私の職場にも近いので、時々こうして顔を合わせてご飯を食べに行ったりする。
長年付き合っていた彼とは別れた。その代り、職場の同僚と付き合っている。そういえば、こいつも公務員だったっけ。
「そういえばね、この前ライブ行った時に、面白い人と知り合いになったんだよ。ひまわりみたいなヒト」
「男?」
「そう」
タキは目を瞑って絶句していた。「また男かいな」