21 大輪-2
1人でライブに来る事にも慣れた。何物にも縛られずにゆっくりライブが楽しめると考えると、1人っていうのも悪くない。開演まで時間があったので、人で溢れるロビーの隅にあったベンチに腰かけた。ロビーでは、友達同士、恋人同士、開演を待ちわびて「このテンションどうしたらいいのー」という感じで落ち着きなく動き回る人が沢山いた。出馬前の暴れ馬だ。落ち着け。暴れるのはライブ中にしろ。こういう時間は正直な所、寂しさもあったりする。
「あのぉ――」
声がする方に振り向くと、短髪で色白の男性が不安げな顔をして座っていた。隣にいたんだ。気配を消してやがったか?
「携帯、貸してもらえたり、しません?」
とても控えめに大胆なお願いをしてきた。
「えっ、あ、どうぞ。落としちゃったんですか?」
携帯を鞄から取り出し、手渡した。ライブ始まってもいないのに、携帯落とすって、どんなドジっ子だよ。
「俺、新潟から来たんですけど、家に携帯置いて来ちゃって。こっちの友達と連絡が取れなくて困ってたんですよ。いや、番号は手帳に書いてあるんですけど、公衆電話って今、あんまり無いでしょう」
彼は鞄から焦げ茶色の革の手帳を取り出した。ページをめくり、指先で小さな文字を追い、携帯に入力した。手帳は几帳面な文字が並んでいた。今時、携帯番号を手帳に控えている若者なんているんだな。
「あ、もしもし?太一だけど、携帯忘れて来ちゃって、親切な人に借りてるんだけど、え、そうなの?まじでか。じゃぁ終わったらお前ん家行くわ。うん、そんじゃねー」
通話が終わり、彼は携帯のディスプレイをタオルでぎゅぎゅっと拭い「ありがとう」と言って返してくれた。
「お友達さんと連絡取れました?」
携帯をしまいながら、特に興味もないが、社交辞令としてとりあえず聞いた。
「それが、仕事で来れなくなったんですよ。1人でライブ観て帰る事になっちゃいましたよ、アハハ」
何が楽しくて笑っているのか分からないけれど、この人の笑顔って爽やかで素敵だな、と思った。
「私も1人ですよ。1人って気楽でいいですよ」
「1人より2人でしょう、一緒に観ません?」
な、ナンパ?何だろうこの人、ナチュラルにナンパしてる?
「私、モッシュピット行かないで後ろから観てますけど、それで良ければ」
俺もです、と言って、さっきまでの不安げな顔なんて思い出せないぐらい、カラリとした笑顔をしている。ひまわり、そうだ、ひまわりみたいだ。
「ひまわり君って呼んでもいいですか?それと、敬語はやめません?同じ年ぐらいでしょ?」
勝手なネーミングだが、「名前は?」と訊くのは少し気恥ずかしかったのだ。
「ひまわり君?いいですけど、あ、いいけど何で?俺は22歳。同じぐらい?」
「お、ビンゴ。私も22歳。ひまわり君のあだ名の由来は教えてあげない。私はミキでいいよ」
ひまわり君は、その笑顔を崩さずに、私の話に頷いていた。
ロビーにいた人が一斉に動き始めるとともに、場内から音が響いた。
「あ、私オープニングアクト観ないから、観たかったらどうぞ。私ここにいる」
「奇遇。俺も見ない」
そう言ってまたひまわりの様な笑顔を寄越す。何かこう――惹かれる笑顔だ。
オープニングアクトが終わるまで、お互いの身の上の話をした。ひまわり君は新潟で公務員をやっているらしい。大学は東京にあったので東京で暮らしていた事もある、と。新潟は故郷だけど、1人暮らしをしているそうだ。ちなみにナンパは初めてだとの事。あ、やっぱりナンパだったのか。
大体音楽の趣味も似たり寄ったりで、その他にも好きな漫画も小説も共通する部分があり、お互い驚いた。驚いてまた、ひまわりの様に笑う。
「さて、行きますか」
私から声を掛け、席を立った。新潟から来ているにしては軽装な彼は、大きな荷物はクロークに入れてきたんだろう。ウエストバッグだけだった。仕事帰りの私ともウエストバッグひとつだ。自分がいかに軽装で仕事に行っているかを思い知る。
ライブ中は、無駄口叩かずに大人しく観ていた。五月蠅く話しかけて来たら離れてやろうと思っていたが、ひまわり君もライブに熱中していたのだろう。大人しかった。
ライブが終わり、クロークから荷物を取り出したひまわり君と、渋谷の駅まで一緒に歩いた。
「いつも1人でライブに来るの?」
「いつもじゃないよ。大抵彼氏が仕事で来れなくなるから、1人になってしまうって感じ」
忙しい人なんだわ、と付け加える。
「ひまわり君は、こっちにはよく来るの?」
「新潟じゃあんまりライブもないしね。今日みたいに金曜の夜とか土日なら東京まで来る事あるよ。まぁそんなにしょっちゅうは来れないね」
歩きながら鞄の中をごそごそと探り、手帳と同じ焦げ茶色の小さなケースから、1枚の白い紙を取り出し、私に寄こした。
「これ名刺。ひまわりの『ひま』は『暇人』の『暇』ではないよね?」
本当に公務員だ。ひまわりの「ひま」は勿論「暇」ではない。
「違うよ、笑った顔がひまわりみたいだったから言ったの。本当の名前は原田太一君というんだね」
へぇ、と言いながら名刺をひっくり返して「こっちは英語か」と呟いた。
「ひまわりみたいなんて言われた事ないよ。そうだ、後で友達の携帯で履歴調べるから、電話しても大丈夫?今日のお礼、今度したいし」
「お礼なんていいよ。電話貸しただけだし」
「電話代払ってないからさぁ」
「別にいらないし。私もいっぱしの社会人ですので」
「ミキちゃんって面白いね。気に入った。やっぱり絶対電話する」
そこだけやけに強い口調で断言し、「それじゃ俺こっちだから」と別の改札口へ向かって行った。