12 瓶詰-2
電話に着信があった。田口だ。
「もしもしぃ?」
『俺だけど』
輪になって話す声がどっと大きくなったので、廊下へ出る。
「オレオレ詐欺なら間に合ってます。それでは」
『おい待て。お前いつもそのネタだな』
ククッと笑って田口は続けた。
『お前さ、この前、小田の車、乗ってたよなぁ』
あぁ、そうか。田口にはよりを戻した事を伝えていなかったんだ。
「乗って、たねぇ。田口君、君の眼はスカウターか何か搭載しているのかい?戦闘力いくつだった?」
『搭載してねーよ。たまたま見掛けたんだよ。ユウの家の近くで』
ユウの家と田口の家はご近所だ。見られてもまぁ、仕方がない。
『そんで、どうなってんの?』
廊下のひんやりとしたリノリウムの床に座り込む。お尻から、冷たさがしみてくる。
「どうなってんのって、そういう事だよ。元鞘だよ。あちら様が女と別れたんだと」
『別れたからって元の彼女のとこにふらっと来るのかよ。小田も小田だけど、受け入れるお前もお前だよな』
田口には、ユウと別れた時に服を返すのに付き合ってもらった。そんな事に付きあわせておいて、そりゃ「おい」って、なるわ。
「悪い。あんな事に付きあわせておいて」
少し長くなってしまった前髪に、指先でくるくると巻いては逃げられる。
『お前、それでいいのかよ。情に絆されてるんじゃないの?』
田口エスパー発揮。自分でも薄々感づいていながら認めたくない部分だった。ましてや他人に指摘されたくなかった。情に絆されている、という言葉。
「刺さった、今の急所に刺さった。ゲホッゲホッ」
電話の向こうの田口には見えないが、左胸を抑える仕草をした。
『俺が言う事じゃないけどさぁ、お前、もっと自分を大事にした方がいいと思うよ。今のお前は、色んなことに翻弄されてるのを、感じない振りしてるんじゃないの』
左胸の嘘の痛みから一転、次は本当に目頭がジンジンした。なんでコイツ、こんなに痛いところを突いてくるんだろう。
「――お前は私の――と、父ちゃんかよォ」
泣きそうになるのを堪え、声に出てしまわないように腹に力を込め、それからカラっと笑った。
情でユウに寄り掛かり、一方でサトルさんを想い――何てずるい女なんだ。
『ま、何かあったら電話寄こせよ』
「ありがと、パピー」
携帯を切った後、しばらく動けなかった。背をもたせ掛けた壁からも冷たさが伝わる。 身体が冷えて行く。心も冷えていく。
――自分を大切に、か。
よっこらせっ、と声に出して立ち上がり、お尻についたゴミを払った。
今日は勉強に集中できそうもない。家に帰ろう。
自室のベッドに横になり、大きく息を吸った。頭上にある窓から外を見ると、今日は綺麗な満月が浮かんでいる。オレンジとも黄色ともとれるその球体の表面に浮かぶグレーの模様が、どうしたらウサギに見えるのか考える。
冷気が入り込む気がして、すぐにカーテンを閉めた。もう、冬はすぐそこだ。
部屋を出ようと立ち上がると、携帯の着信音が鳴り、足を止まる。今日はよく電話が来るな。ユウだろうか。
画面に表示された名前は「サトルさん」だった。
『あ、こんばんは。今電話してて大丈夫かい?』
ベッドに座り直して姿勢を正す。変な汗が出てきた。
「はい、大丈夫でーす」
タイミングの神様に見放されたというメールを貰って以来、連絡をとっていなかったので驚いたのと同時に、嬉しかった。あぁ、ずるい女。
『来月あたり、また何か料理を作ってご馳走しようと思ってるんだけど、どうかな?』
「あぁ、行きます行きますっ」
ベッドに座りながら、2回跳ねた。
『何かお酒のつまみになりそうな物を作るから』
前回と同様か、それ以上の踏み込んだ関係に発展するであろう事は察しがついた。それでも良いと思った。ユウには悪いが、私が思うとおりに行動してみようと思う。
「うん、それじゃぁビールとか何か買って行くよ。いつにしよう?」
壁掛けカレンダーと睨めっこをしながら日取りを決めた。
電話を切ってから、勝負パンツ買わなきゃ、と思った。
「一応ね、一応」
部屋に入ってきた猫に、そう告げた。