11 ぬるま湯-2
アツアツのエビドリアを冷ますために、フォークでご飯とソースを混ぜ合わせる。ふんわりとホワイトソースの香りをたたえた湯気が、顔を掠めていく。
「おタキさんは、最近どうなのよ。彼とは」
タキは、高校時代からずっと付き合っている彼がいる。今は甲府と横浜の中距離恋愛をしている。1人の彼氏と2年以上付き合った事のない私からすると、タキは一途の見本だ。
「まぁ、正直な所刺激が無い生活だよね。しょっちゅう会う訳じゃないしさ」
「寂しいとか?」
「まぁね」
「可愛いとこ、あんじゃないのさぁ」
上目使いにタキを見てニヤリと笑った。ドリアを一口、口に運ぶ。「あふっ」と予期していた熱さなのに声が出てしまう。
「ミキは結局、元鞘なんだってね。レイちゃんから聞いたよ」
「はい。鞘に収まってます」
他に収まる鞘なんて持ってない。ここを失ったら私はぶらぶらと人に刃を向けながら生きる事になってしまう。
「ただね、好きな人がいる、っちゃいるんだよね」
「なんだその趣味の悪い火遊びは」
タキはグラタンをつつく手を止めて私の顔を見た。
「未遂ですよ。セックスはしていない。だけど好きなんだよね。でも相手の思ってる事がいまいち掴めないから、こっちも攻撃を仕掛けられない。結局は同じ鞘に収まってるんだけど」
サトルさんに「好きだ、付き合ってほしい」とストレートに告白されたら、私はサトルさんを選んでいた。しかし、実際はそうではなかった。目の前ににんじんをぶら下げるどころか、「にんじんは今日しか出しません」と宣言されてしまったのだ。空腹の馬。
「あんまり、色々な所で無茶しない方がいいよ。ミキは案外、人に気を遣うタイプだから、自分の気持ちに正直になるって、難しいでしょう」
テーブルの上からぶら下がる電球の熱が少し熱いな、と感じる。案外とは何だ、案外とは。
「ミキがしたいと思うように行動しな。他の人の事なんて考えなくていいから」
タキが言う事がとても正しすぎて、眩しかった。そんな風に生きる事が出来たら素敵だと思った。きっとタキとタキの彼は、双方のまっすぐな想いで固く結ばれているのだろう。 私は距離の離れた恋愛なんて、不安過ぎてできない。それは相手からの想いに自信が持てない事は勿論、自分の想いに自信が無いせいでもあろう。果たして自分のユウへの想いは、まっすぐなんだろうか。
「タキは正しいよ。はぁ――思うように行動、かぁ。」
食べかけのドリア皿に目を落とす。思うように行動するという事は、予想以上に難しい事だ。あれやこれやと難しく考えてしまう私にとっては特に。まずは嫌いなにんじんをお皿の横に除ける事から始めよう。できる事からこつこつと。
久々にユウと休みが合った。こんな日は朝から――セックスだ。冷房をガンガンにかけたユウの部屋で、布団を掛けて抱き合う。ユウと私はお互い、初めての相手だ。この歳にしては遅い方かもしれない。だからという訳ではないが、飽きもせず、会うとセックスをする。
彼の広い肩やごつごつした腕、ご立派な彼自身がとても愛おしい。衣ずれの音すら官能的に感じる。彼とのセックスは、お昼寝のように心地が良い。
ただ、別れる以前と変わった点がある。それは、私の頭の中に時々降って湧いてくる、サトルさんの存在だ。一瞬、集中力がそがれるのだ。
事を終え、車で海へと向かった。初秋の潮風が、開け放った窓から否応なしに入り込み、思わず目を閉じてしまう。遠くの方で、少し濁った群青色の海と空が溶け合っている。境界線が不明瞭で、自分の心を映しているのではないかと心がざわめく。
砂浜に横たわっている角材に二人で腰掛け、海を眺めていると、ユウが口を開いた。
「ねえ、前に言ってた、好きな人っていうのは、もう好きじゃないの?」
サトルさんの事か。ユウは田口と勘違いしたんだっけ。
「え、あぁ、好きじゃないと言ったら嘘になるけど。手の届かない人だから。何さ、突然」
急にそんな事を言われ、私は動揺した。
「その辺どうなってんのかなーって、思って。二股なのかなーとか」
ぶはっと吹き出してしまった。
「私はそんなに器用じゃないですよ。浮気、不倫、絶対出来ナイタイプネ」
ふざけて片言の日本語で答える。スニーカーのオーリーガードに、砂粒が整列している。足を踏み込むと、サーッと砂浜に溶け込んでいく、砂粒。
「そう、それなら良かった。ツンデレのミキが、他の人にデレっとしてる事を想像したら、相手を探し出して殺してしまいそうだ」
「物騒だな。おまわりさーん、このヒトでーす」
口に両手を当てて大声を出すふりをした。口の周りに、砂がついた。慌てて払う。
「口に入りそうになった。畜生、おまわりさんめ」
ユウが私の顎を長い指先で持ち上げ、反対の手の先で砂を払ってくれた。そして優しくキスをくれた。「ミキが好きだよ」と言ってもう一回。
この人を裏切ってはいけない。こんなに愛してくれる人を、裏切ってはいけない。
だけど――。
彼が私を、愛してくれるから、なのか。
私が彼を、愛しているから、ではないのか。