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不幸せをありがとう
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不幸せをありがとう-2

一章 

 「もし、これ以上無理をすれば、一生歩くことが出来ない身体になるよ。」
その医師は、穏やかな口調で、何か穏やかでないことを言った。
「けれど先生、これは俺の一世一代の晴れ舞台なんだよ。なんとかしてくれないか。」
「いや、何ともなりませんよ。実際君は、もう歩ける状態ではないんだから。」
「それなら、十分でいい。十分でいいから出られるようにしてくれ。」
医師は困り果てたように天を仰いだ。けれど俺は妥協する訳にはいかない。足が折れたっていい。歩けなくなったっていい。明日、ピッチに立てるのならば俺は何だって捧げよう。
「頼む!頼むよ!」
俺は土下座をした。
「おいっ、やめろよ。もう無理だ。」
そう言って、俺の後ろにいたチームドクターは俺を床から引き離そうとする。けれどかまうものか。体裁なんて関係ない。
「分かった。」
医師は苦渋の決断をした。
「ただし五分だけだ。それ以上は、私の知るところではない。」

 「まったく、土下座までするなんて。」
病院からの帰り、チームドクターの関口さんが呟いた。
「まぁ、気持ちは分からんでもないがなぁ。」
「関さん、多分あんたが俺の立場だったら同じ事をするよ。」
俺がそう言うと、関口さんは笑った。それは肯定の微笑み。
三十二歳。サッカー選手としては、峠はもうとうに越えていることは自覚している。代表としてピッチに立てるのは、今回が最後だろう。ましてや日本中が注目するビッグマッチだ。ここで辞退などしたら、俺は一生後悔するだろう。もし歩けなくなったとしても、ずっとピッチに立つ自分を思い描くだけの余生よりは。
「大丈夫でしたか?」
声がした方を振り向くと、黒いコートに身を包んだ青年がいた。
「君は確か・・・。」
いつも練習を見に来てくれるファンの子だった。病院から出てきたところを見られてしまったのだろうか。
「なぁ、今見たことは黙っててくれんか?」
関口さんがそう言うと、それには答えず、青年は「どのくらいの怪我なんですか?」と尋ねてきた。
「かなりの重症だよ。」
俺は素直に答えた。
「おいっ。」
関口さんは慌てているけれど、最早隠すことでもないだろう。
「明日、試合に出れば一生、松葉杖生活だそうだ。」
青年はしばらく考えたあと言った。
「それでも、出たいですか」
「当たり前だ。死んだって出るよ。明日のは、そういう試合だからな。」
彼は、そうですか、と言うと右手を俺の怪我している場所にのせた。それは何の躊躇いも無い自然な動作だった。
――― 幸せをあげよう
その光景を、俺も、関口さんもただ黙って見ていた。その行為を黙認する空気が、そこにはあった。俺の右足に、何かが流れ込んでくる。言葉では言えない何か。青年はその場にうずくまった。
「おいっ、大丈夫か?」
その問い掛けには答えず、彼は苦しげに息をする。そして立ち上がると、頼りない足どりで何処かに向かっていった。
「明日、頑張ってください。決して諦めないで。」
そんな捨て台詞を残して。


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