第2話 美幸-1
キィー・・・・・・
春の日差しが照り続ける、翌週の月曜日の朝。
工場内の駐車場に、一台のシルバーのミニバンが入って来た。
他にも、四五台ほどの車がすでに止まっており、普段と変わらぬ始業前の光景だった。
シルバーのミニバンがその一角に駐車すると運転席のドアが開いて、ブラウンのフラットパンプスを履いた綺麗な脚が覗いた。
膝下くらいのグレーを基調とした、黒い花柄のプリーツスカートを履いた律子だった。
上はカーキ色のキャミソールに、同色の七分丈くらいのロールアップカーディガンを羽織っており、春の陽気に相応しいエレガントなスタイルだった。
律子が颯爽と車から降りると、まるで待ち構えていたように斜め向かい側に止めてあった赤い軽ワゴンのドアが開いた。
「おはよう」
その赤い軽ワゴンからは、律子よりも一回りほど若い女があいさつを交わしながら降りてきた。
半年ほど前に入社してきたばかりの女で、名は谷口楓と言った。
歳は32で律子よりも一回り以上も年下だが、同じ工程に所属されて面倒を見るうちに親しくなった。
容姿は、年齢よりも若い顔立ちで整っており、細身の身体も相重なって異性を魅了するほどだった。
身だしなみも、髪は明るいブラウンのショートボブで、服装は淡いピンクのチュニックにブルーのスリムジーンズをロールアップで履いて、その足元はチュニックと揃えた同色のピンクのスウェードパンプスが覗いていた。
生活感漂う他の工員に対して、お互いがそれに反するかのような装いで同じ価値観を見い出したのも親しくなった要因だった。
「あら、素敵なチュニックね」
律子は、挨拶代わりに楓の服装を誉めて返した。
「ふふ・・・ありがとう。昨日、春物処分セールで買ったのよ、安かったからついね。生地も薄手だから、しばらくは着れると思って・・・・・・」
初夏も近い、5月の終わり頃だった。
「楓さんはお若いから、何を着てもお似合いね。私なんかがジーンズを履くなんて・・・・・・」
「何言ってるのよ、律子さんは背も高くてスタイルも良いから、私なんかよりも全然お似合いよ。もう、嫌味にしか聞こえないわよ」
二人は、何気ない会話を交わしながら工場へと向かうのが、普段と変わらぬ通勤スタイルだった。
その並んで歩く姿は、同じエレガントな装いに整った容姿も重なって、まるで姉妹のようにも見えた。
「ところで、今日よね。宮下さんの代わりが決まるの」
「ええ・・・・・・」
楓が話題の矛先を変えると、律子の表情は一変して曇り、浮かぬ返事で返した。
「やっぱり美幸さんかしらね?」
「多分ね。彼女以外考えられないわ。みんなもそう願ってるはずよ」
「そうかな・・・私は何だかあの人は好きになれないわ。調子が良いって言うか、上の人におべっか使ってるみたいで・・・・・・・。確かに、みんなに好かれてるのは分かるけど、何だか嫌だわ」
「楓さんが嫌いでも、彼女に決まれば全て丸く収まるのよ」
「いっそうの事、律子さんだったら良いのにな」
「ちょ・・・ちょっと、冗談はよしてよ。私なんかに・・・・・・」
楓の言葉に、律子はたじろぐばかりだった。
それと同時に、数日前の大場との事が頭を過ぎっていた。
あの日以来、大場に催促されるような事は無かったが、楓の言葉で律子の心中に蘇るものがあった。
「冗談なんか言ってないわよ。律子さんは人に物事を教えるのは凄く上手だと思うの。私だって、律子さんに教えられたから、今の仕事にすぐに馴染めたのよ。だから、絶対適任だと思うのよ」
「お願い、本当に止め・・・・・・」
「おはようございます」
たじろぐばかりの律子に、助け舟でも渡されたかのように、後ろから小さい声であいさつが聞こえてきた。
その声の主は、背の高い若い男で、ゆっくりと会話をしながら工場に向かう二人に、追いついて来たのだ。
くたびれたデニムYシャツと薄汚れたチノパンに、丸めた背中が印象的な冴えない雰囲気の痩せ男だった。
二人は挨拶を返すと、道を開けるように両端に寄り、その間を割るように若い男は追い抜いて行った。
「今の、新しく入ってきた若い子よね?」
若い男が早足で遠ざかると、律子が先に口を開いた。
楓の話題の矛先を変える為でもあった。
「ああ・・・・・・あの子ね。確か、信吾君だったかしら」
「楓さんは知ってるの?」
「私も良くは知らないけど、この前、保全の加藤君が愚痴をこぼしてたのよね。何だか、使い物にならないとか・・・・・・」
保全とは、ミシンなどの機械管理の業務で、若い男は見習いだった。
「それに、この前の花見の時も、一人ぽつんとしていて何だか可哀相だったわ」
「そうなの・・・・・」
若い男の事については話題の矛先を変える為に尋ねた事なので、今の律子にとっては、どうでも良い事だった。
ただ楓の言葉から、遠くに映る若い男の丸めた背中が寂しそうに、律子の心を捉えていた。