小生意気な赤い頭巾の少女-1
ガタつく扉を押し開けると、朝日にきらめく森の風景が広がっていた。
そして、得たいの知れない悪意と敵意が向けられているのを感じた。
どうやら、この森が物騒な事は確からしい。
しかしそれを言うなら、テリーとて地上でもっとも厄介な災厄の種なのだ。
森の香りによくなったかと思った嗅覚は、まだ本調子でなかったらしい。
女の子の匂いは嗅ぎつけられなかったが、いくつかの枝分かれ道を、老婆に教えられた通りに歩いていくと、その色はすぐに見つかった。
布巾をかけたバスケットを腕にさげ、赤い頭巾をかぶって歩いてくる小さな女の子。
あれが例のリタとかいう孫だろう。
テリーはとっておきの笑顔を作り、話しかけた。
数々の王家や勇者を篭絡した魔性の笑顔だ。
「こんにちは、あかずきんちゃん」
勿論、警戒されないように狐の耳と尻尾は消し、瞳も変えて普通の人間に化けている。
「……」
「あかずきんちゃん?」
「……」
あからさまに不審者を見る眼で、少女はテリーをチラリと見ると、そそくさと避けて通ろうとした。
「ちょ…!待てって!!」
肩を掴もうとして、あわてて手を引っ込める。
指一本も触れてはいけない。
約束を反故にするのは、弱者の証拠。
テリーが約束を守るのは、地上最強の種族としての誇りだ。
「おばあさんに頼まれてさぁ、迎えに来たんだ。一緒に来いよ」
「いやよ」
ドきっぱりと跳ねつけられ、テリーの笑顔がピクリとこわばる。
このイケメンに誘われて断るなんて、てめーはどういう美意識してんだ、クソガキ!
「な…なんでさぁ?」
「だって、二足歩行の服来た狐なんて、怪しいもん」
「!?」
あわてて手で身体をさぐってみるが、変化は完璧なはずだ。
もちろん、中途半端な変化は時として、勘の鋭い人間に見破られてしまう事もある。
だが、テリーは今まで一度たりともそんなヘマはしなかったし、それが当たり前でもあった。
「……」
今日何度目になるかわからないショックに、うちのめされる。
生まれて初めて味わう壮絶な挫折感に、思わず木の根元で三角座りになってしまった。
もう嫌だ。
さっさとおウチに帰りたい。
それでさぁ、お気に入りのふかふか枕にスリスリするんだぁ!!
少女もその哀愁漂いまくっている背が、さすがに気の毒になってきたらしい。
「狐さん、私を誘拐しても身代金なんて出ないわよ。だって…」
「だから違うって言ってんじゃん。」
力なく手を振り、少女の話をさえぎった。
「お前が継母と仲悪ィ事だってさぁ、婆さんから聞いてんだ」
「本当におばあちゃんから頼まれてたの!?」
少女はすまなそうに身を縮めた。
「ごめんなさい!!てっきり貴方もあの人に頼まれたと…」
――不意に生臭い風が吹き抜け、耳障りな金切り声を運んできた。
日光は消え、あたりの景色が急速に色彩を失っていく。
わけのわからない叫び声をあげながら、醜悪なゼラチン質の塊が、しめった音をたてながら這いずりよっていた。
ぬめぬめと照る表面には、苦悶の形相が無数に浮かび、それぞれが好き勝手に呻きや呪い声をあげている。
死霊の塊だった。
数え切れないほどの死者達が寄り集まって、新たな化け物が生まれていた。
しかし、テリーはむしろすっきりした気分だった。
笑い転げたくなるほど、わかりやすい雑魚だ。
青ざめてすくみあがっている少女に、まだ化け物の脅威が届いていない花畑を指差す。
「あそこまで逃げてさぁ、花でも摘んでろよ」
少女は聞き返したりはしなかった。
きびすを返し、一目散に走り去る。
表皮の一部にぬぷりと亀裂が入り、切れ切れの金切り声がひびいた。
「この森の獲物……横取りするヤツ…喰う…」
食欲だけに突き動かされているこの生き物は、ただ目の前の侵入者を捕獲しようと向かってくる。
魔族に対する恐れも知識もないはずが、それでも本能が、この強大な力を取り込めと警告しているのだろう。
一瞬のうちに化け物は、体の表面積を5倍以上に広げ、津波のように覆いかぶさった。
強酸の唾液が、獲物をすすろうとあふれ出て…
「う?ぎぅぅ…うが…」
青白い炎が、薄くテリーの全身を膜のように守っていた。
人間の使う炎など比べ物にならない超高温が、化け物の唾液を蒸発させ、身を焼き焦がし始める。
「やっぱさぁ、俺ってこういうのが似合うキャラじゃん」
婆さんにド付かれたり、お使い頼まれたりなど、似合うはずがない。
独り言に自分で納得し、うんうんと深く頷く。
死霊たちと、まともに戦ったり会話したりする気も起きなかった。
わずかに力を込めて炎の出力を上げ…
それで、すっかり終った。