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富子淫情
【歴史物 官能小説】

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富子淫情-4

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―――輿が下ろされ、出入り口にかけられていた御簾が上げられる。


富子はゆっくりと地面に足をつけると、目の前に立つその“邸宅"を見上げた。
富子が輿を下りている時、供の1人がその邸宅の門を叩き、家人との交渉に当たっている。




檜の皮で屋根を葺き、使っている木材もどれもが年期を感じさせるものの、
同時に嵐山の自然に溶け込めるような造りと外観を意識した建物。

山のすそのに建てられ、上から木々が覆い被さっている形になっている。

屋敷の周りは漆喰の壁で囲まれており、見たところ庭園もあるようだ。

桂川の河原からあまり遠くなく、まずまずの立地と言えた。

流石の富子も、この邸宅がそれ相応の身分の持ち主所有ということは分かる。





―――ほどなくして
表門横の勝手口が開き、供の者に連れられて家人らしき人物が出てきた。


「こちらの邸宅は関白・一条様ご所有の別荘だとのことでございます。

現在別荘には、この者含め5人の者がおるとのこと。
なお、ご当主である関白兼良卿は現在都の本宅にいらっしゃり不在とのことでございます」


「そう・・・・」





――― 一条家とは平安時代から続く藤原摂関家の流れを組み、後代に5摂家として分かれた内の1つである。

そしてこの時の当主である
一条 兼良(いちじょう かねよし又はかねら)は、

室町時代の公卿・古典学者として有名な人物である。
官位は従一位・摂政関白太政大臣、准三宮まで上り詰めている。

1412年元服して家督を継ぎ翌年従三位に叙せられて公卿に列し、累進して左大臣に任ぜられるが、実権は二条家に握られ、

1432年には摂政となったが、半月近くで辞退。

その後は学者としての名声の中で、
将軍家の歌道などに参与。1455年頃には『日本書紀纂疏』を著している老人だった。
確かおんとし63歳だったと思う。


富子自身も将軍御所の歌会や公式行事で目にすることもあり、
何度か言葉も交わした人物で、決して“面識のない"ということはない。



胸まで届くほどに蓄えた白い髭と、
細身の身体に比して年齢よりも若く見えるふっくらとした顔立ちが、富子の中の印象だった。

もっとも今の今まで
富子の中で“性の対象"には入っていないが。




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