富子淫情-24
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―――日野富子はそのまま嵐山の一条家別荘で数日を過ごした。
あくまで“お忍び"だったため正確な記録は残っておらず、
別荘で何が行われたかについては謎に包まれたままである。
なお
富子が京へ戻った後
嵐山の一条家別荘から賀茂右近の姿が消えたという――――
富子が室町御所に戻ってから程なく
次期将軍を巡る争いが表面化。
義政の弟・義視を擁する細川勝元陣営と
富子の息子・春王を擁する山名宗全陣営の対立が激化していき、
遂には東軍・西軍に分かれて激突する大乱に発展する。
後の世に言う“応仁の乱"の始まりだった。
そんな大乱の最中においても、
富子は将軍御台所という立場から
その美貌と才覚を駆使して暗躍していくことになるのだが、
それについてはまた別の機会に話すことになろう。
そして嵐山において
富子との密事を持った
関白・一条兼良――――
高名な学者としても知られる老人が後年富子の請いを入れて、
富子の息子・春王のちの足利義尚に帝王学を教授することになる。
その際
兼良は義尚に進呈した著作“小夜のめざめ"の中で日野富子を絶賛し、
女性が国政に関わることを肯定的に捉えている。
なぜ兼良がここまで富子に肩入れするのか。
一説によると当時富子が進呈した金銭の効果とも言われるが、
それを明確にする“真の理由"は未だ明らかになっていない――――――
――― 完 ――――