姿無き軍師についての記述。-1
シシリーナの王都で、”少しばかり”混乱があってから、半月が経った。
現在、北国フロッケンベルクの王は、ヴェルナーという。
年齢は三十六歳と、半月前に死去したシシリーナの暴君王、カダムよりも幾分若い。
だが、即位したのは弱冠十四歳の時だったから、けっして若輩者とは言えない。
明るい巻き毛の、どちらかといえば線の細い優男で、屈強な男くささからはほど遠いが、気さくで親しみやすい人柄だ。
相手を楽しませる会話が得意で、その話術と優雅な物腰は、若い頃から国内外の姫たちの心をわしづかみにしていた。
あまりにも若くして王位を継いだため、即位してからも、それなりのゴタゴタがあった。
しかし優男の外見や、国王にしてはやや低い物腰に、彼を甘く見た政敵は、もれなく手痛いしっぺ返しを食らわされている。
ヴェルナーの元には先ほど、姿無き軍師からの報告書が届けられていた。
カダムには子がいなかったので、シシリーナ国は、正妃だったソフィアを新たな女王にし、戴冠式もつつがなく終わった、と記されていた。
王妃といっても、ソフィアは外国の姫だ。
反対しようとした者も多かったが、王都を包囲していたイスパニラ軍に、半ば脅迫される形で、強引に決まった。
何しろ、王都の包囲は実に鮮やかな手管で行われ、シシリーナ軍は実力の違いを、それこそ嫌というほど見せ付けられたし、外交的に人質同然だったソフィアは、いつのまにか包囲軍の陣頭に立っている。
しかも、そこまで武力行使がされたのに、シシリーナ国の民には、なんの被害もなかった事も、ソフィアが受け入れられる要因となった。
死んだのは、国の誰からも嫌われていたカダム王だけ。しかも彼は自殺だったと、証言されている。
元々、ソフィアはすでに、シシリーナの女性達のカリスマ的存在といっても過言ではなくなっていた。
彼女は亡き夫よりもよほど、支配者としての資質を持っていたのだ。王宮前の広場で、堂々たる演説がなされた後は、ソフィア女王の誕生に異を唱える声は、もう無くなっていた。
そして、今回の件に密かに手を貸したフロッケンベルクは、イスパニラから大量の謝礼を受け取った。
種明かしをしてしまえば、シシリーナ王都を取り囲んだ軍は、目立つ一割だけが本物のイスパニラ軍で、残りは軍装備をしているように見せかけた、フロッケンベルクの民だったのだ。
しかもその殆どは、夏まで仕事のない農民たちだ。彼らは数十人単位に別れて行動し、誰の注意もひかずに、単なる旅人として国境を越えていた。
幻のように忽然と現れた軍隊は、本当に幻だったのだ。
もし、そのこけ脅しにシシリーナ軍が屈せず、死に物狂いで向かってきたら、彼らはすぐ逃げて、後から遅れて来ていた『本物のイスパニラ軍』と交代する手はずになっていた。
これら全てが、『姿無き軍師』からの指令だった。
もっとも、今回は密かに事を運ぶために一般市民を使ったが、もともとフロッケンベルクは魔術関連だけでなく、傭兵も優秀と名高い。
フロッケンベルクとしては、二つの大国、どちらかの完全敗北は望まない。せいぜいこうやって、ときおり争ってくれなくては困るのだ。
魔術師や錬金術師を各国に派遣し、さまざまな陰謀の芽をつつき、自国の傭兵を一番高値で売りつける。
悪徳と罵られようと、フロッケンベルクはこうして何百年もの間、国民の命をつないできた。
厳しい寒さとやせ細った土地の、豊饒の神に見放されたこの国で、国を支えるのは人材しかないのだから。