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氷炎の舞踏曲
【ファンタジー 官能小説】

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18年分の悪意。についての記述。-1

 ――豪奢な四柱式の寝台で、カダムはふと目を覚ました。
 夕食の後、奇妙に抗いがたい眠気を催したのは覚えているが、いつのまに寝所で眠ってしまったのか、よく覚えていない。
 夏と言うのに骨身まで震わせる冷気が、ねばつく夢の国から、カダムを現実へと引き戻したのだ。
「ヘルマン?」
 ベッドのわきに立っていた錬金術師に気づき、カダムは顔をしかめた。
 国王の寝所に断りもなく忍び込むなど、無礼千万な行為だ。一体どういうつもりか。
 しかもこの錬金術師は、非礼を詫びるでもなく、唐突に切り出した。
「お暇を頂きにまいりました。」
「な……んだと?!」
 やけに渇いて張りついた舌を、必死に動かした。
「勝手な事を……」
 へルマンは気に食わなくとも、彼の作る武器や薬品は、今やなくてはならないものだ。
「契約時に、申し上げたはずです。僕は、貴方のお抱え錬金術師である以前に、あくまでフロッケンベルクの使者であると。」
 アイスブルーの双眸から放たれている光は、氷河に口をあけた裂け目のように、容赦ない冷酷な色だった。
「我が国の姿なき軍師(ウンズィヒトバァレ・タクティサァ)より、『すべきことをすませ、直ちに帰国するように。』と、勅命が下りましたのでね。」
「なんだと……?」
 能もなく同じセリフを繰り返して、カダムは呻く。

 フロッケンベルクの『姿無き軍師』カダムはその名を知っていた。
 いや、大抵の国でも、国事に携わる者なら誰でも知っている。知っているが、その姿は誰も見た事がないのだ。
 ただ非常に的確な戦略指示だけが、手紙によって必要な時に通達されるらしい。
 本名も知らない。男か女かも定かでない。しかも他国の人間だけでなく、フロッケンベルクの民ですら、見た事がないと言う。なので、『姿無き軍師』だ。
 フロッケンベルクにおいて、その指示は何よりも優先される、幻の最高司令官だった。

「すべき事だと?」
 歯をむき出して唸りながら、カダムはそろそろと片手を枕の下に伸ばす。
 用心のために隠してあるナイフの柄が、指先に当たった。
「そうだな。貴様にはサーフィを仕込むという仕事が残っているはずだ。それとも、お前が常々言っていた、たった一つの誇りとやらも、所詮は紙屑同然だったというわけか?」 
 だが、挑発は何の効果もなかった。
「ええ。結局、僕の誇りなど、捨てても大した事はありませんでした。」
 目は冷たいまま、口元だけがにこやかにつり上がる。
「しかし、救いがたい下種の為に捨てるのは、流石に吐き気がしましてね。貴方に嘘は申しておりません。僕は、性奴隷を作れるだなんて、一言だって申しておりませんよ。そちらが勝手に要求しただけです。」
「なっ!?き、詭弁を抜かすな!」
 言葉に有らん限りの毒を込めて吐いたが、背中を新たな冷や汗が滴り落ちる。
 思い起こせば確かに、へルマンは一度もはっきり了承ととれる返答をしなかった。
「なるほど……なるほど…………」
 額に脂汗を滲ませ、引きつった笑いを浮かべる。
「ご理解いただけましたか。」
 無造作な足取りで、へルマンが近づいてくる。

 馬鹿め。
 不老不死だかなんだか知らんが、このナイフには、猛毒が塗ってある。
 お前に調合させた、お前自身でさえ殺せる毒だ!

「ああ。なら、仕方ない。」
 カダムは鷹揚に頷いてみせた。
 今では剣を持つこともないとはいえ、若い頃はそれなりに鍛えたのだ。破裂しそうな心臓の動悸に耐え、十分な距離にひきつける。
 鞘から抜かれた毒刃がひるがえり、独特の甘い香りが立ち上った。
「ぐっ!!」
「あはは。『お前を殺せる薬を作れ。』そう要求したのは、貴方で五人目です。」
  カダムの手首をひねりあげながら、へルマンは世間話でもしているような気楽な口調で語る。
「そして僕は、いつも作りましたよ。もちろんその毒は、本当に僕でも死にます。」
「ぅっ…うぅ」
 へルマンはそれほど強靭な体格でもないのに、万力に締め付けられているかと思うほどだ。
「ぐ……ぎゃああああ!!!!」
 握られた手首から、白煙と焼け付くような痛みが立ち昇り、カダムは絶叫する。
 酷い火傷をした気がした。
「ひ、ひ、そんな……っ!!」

 ヘルマンの青白い手は、普段のそれとなんら変わらないのに、彼に握られているカダムの手は、ナイフごと氷の塊の中に封じ込められていた。
「毒を渡すのは、良い所に気がついた事へのご褒美です。僕みたいに胡散臭い相手に対しては、用心を怠るべきではない。僕は製作可能なものは何でも作るし、嘘をつかないと言っているのだから、そこに付け込めばいい。それに気づいた人には、一度だけチャンスをあげています。」
「ぐぅっ!!く……うっ……」
 なんだ。何を言ってるんだ、コイツは。
 褒美?チャンス?そんなばかげたくだらない賭けのテーブルに、命を載せたと言いたいのか?それなら、お前は狂ってる!
「刃を突き立てれれば、僕に勝てた。」
 どうでもいいと、その表情が物語っていた。
 勝利に酔うでも勝負に興奮するでもなく、ただ淡々と、『お前に勝った。それだけだ』と。

 左手で白衣のポケットから取り出したものを、へルマンはゆっくりと手を開いて見せる。
 砕けて細かい破片になった、赤い魔石が乗っていた。
「そ、そんなものを……」
 どうするのか、と聞く間はなかった。
 固い破片が、口の中に突っ込まれ、吐き出せないよう抑えつけられる。
「魔石は、常に彼女と共にあった。」
 静かな恐ろしい声が、囁く。

「彼女が受け続けた、十八年分の悪意を、自身で感じてみるがいい。」


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