白銀の獣、についての記述。-1
目を覚まし、サーフィは驚く。
昨日までの気だるさや熱が、嘘のようにすっきりと消えていた。
夢うつつで見たあの赤い輝きは消え、肌の色はいつもと変わらない。
それでも、どこか以前と違う気がする。
まるで、身体の内部がそっくり作りかえられたような感覚だった。
おかしいのは、それだけではなかった。
衣服はやはり、眠っている間に取り替えられたらしいが、サーフィが着ているのは、ローブでもドレスでもなかった。
飾り気の少ないブラウスと、男の子のようなキュロットだった。
こんな服装は、ごく幼い頃、ヘルマンに戦い方を教わっていた時以来だ。
ドレスでも戦えるようにと、次第に訓練の時もドレスを着たままでいるようになったが、サーフィとしては、本当はこういった動きやすい服装の方が、好きだった。
窓の外は暗く、もう遅い時刻らしい。
部屋には鏡が無かったが、テーブルの上にはまた食事が置いてあり、コップの水にサーフィの顔が映る。
髪はサイドテールに結われていたが、留めているのは黒いビロードのリボンで、髪飾りはテーブルの隅に置かれたままだった。
ベットの足元には、こげ茶色のロングブーツがそろえて置いてあり、椅子の背には、えんじ色の上着がかけられている。
どちらもサーフィの物らしく、ピッタリだった。
身支度を終えると、とても空腹な事に気づいた。体調が良くなったせいなのだろうか。
残さず食事を食べ終わっても、ヘルマンはまだ現れない。
……来ないほうが、良いはずなのに。
返って不安で落ち着かない。
扉には鍵がかかっていたし、右手の枷も外れない。
仕方なく部屋の中をうろうろしていると、ようやく扉がノックされた。
入っていたヘルマンが、サーフィの姿を見て微笑む。
「よくお似合いですよ。それと、気分はどうです?すっきりしましたか。」
「は、はい。」
戸惑いながら、サーフィは返事をする。
そして、その後ヘルマンがとった行動に、更に驚いた。
彼はテーブルの上に乗っていた髪飾りを取り上げ、力任せに壁へ叩きつけたのだ。
硬い石壁にあたり、赤い宝石に無残なひびが入る。もう一度叩きつけると、紅玉は完全に砕け、細かい無数の破片になった。
「ヘルマンさま!?」
突然の奇行に、サーフィは立ち尽くす。
「この石はね、魔法石なんですよ。」
手の中に残った赤い破片たちを、ヘルマンは無造作に白衣のポケットへ突っ込んだ。ぽっかり穴があいてひしゃげた金細工は、床に投げ捨てられる。
「魔法石?」
物心ついた時には、髪飾りはもう毎日付けられていた。
ルビーでもないし、ざくろ石でもない。美しいが、変わった石だとは思っていたが……。
首をかしげるサーフィに、ヘルマンが苦笑する。
「十八年前、あの男の依頼で僕が造ったものです……君を監視するためにね。」
あの男、とはカダムの事のようだが、こんな石で監視だなんて、まるで意味がわからない。
「これを付けているかぎり、君と周囲との会話は、全てあの男に筒抜けです。居場所さえもわかってしまう。」
「な!?」
「ですから、君が僕に書斎で言った事を、あの男は知っていたのですよ。」
「あ……。」
思いもよらなかった事実に、愕然とした。
以前から、不思議に思っていたのだ。
カダムはまるで、サーフィの行動を全て知っているような振る舞いをする事が、たびたびあった。それなら、全てつじつまが合う。
「ですが、なぜそれを壊したのです!?」
しかし、ヘルマンはその質問には答えず、いきなりこう切り出してきた。
「それより、まずは謝らなくてはいけません。」
ニコリと微笑む。
「すみません。僕は君に、嘘をつきました。」
「え……?」
聞き間違いかと思った。
「ヘルマンさまが……嘘を?」
「はい。」
「……。」
絶対に、嘘だけはつかない人だったのに……。
それを、彼がどれほど重要に守っているか知っていただけに、衝撃的だった。
ヘルマンは、ポケットから例の媚薬が入った瓶を取り出した。
「これは、媚薬ではありません。」
「え!?」
「副作用で微熱は出ますが、催淫効果なんか、これっぽっちもないんです。」
「で……ですが……」
あんなにも身体が熱く、狂おしいほど淫らな快感を呼び覚まされたのに……。
「思い込み、ですよ。」
どうやらサーフィの表情から、言いたい事がわかったらしい。
「戦場でよく使われる手ですがね。ただ小麦粉を丸めたものを、痛み止めだと信じさせて飲ませると、本当に苦痛が軽減したりする……。くく、君は心底、僕を信用してくれていたのですね。」
「では……それは……?」
「未完成のホムンクルスを完成品にする、治療薬です。」
「治療?」
「これでもう君は、血を飲む必要はありません。普通の人間と変わりませんよ。」
「……。」
ポカンと口をあけたまま、言葉もなく、サーフィはヘルマンを見上げた。
なんて日だろう。
ヘルマンが嘘をついていて、媚薬は偽物で、そして……そして……自分は血を飲まなくても良くなった!?
太陽が西から昇ったって、これ以上は驚かない!