白銀の獣、についての記述。-4
ーー半刻後。
サーフィはソフィア王妃と一緒に、ヘルマンの家から伸びる地下道を進んでいた。
十八年間も城に住んでいたのに、こんな地下道があるなど、まるで知らなかった。
案内をしながら、ヘルマンは小さく笑って答えた。
「そう簡単に見つけられたら、この通路は役に立ちませんよ。」
迷路のような地下道を抜けると、雑木林の中に出た。
時刻はもう真夜中だ。
林は、市街地の灯りからも少し離れており、ヘルマンの持つランプ以外は、背の高い木々の葉の間から、月明かりが照らしているだけだ。
不意に、落ち葉を踏む足音が聞こえた。
サーフィは刀を構え、ソフィアを守るよう前に立つ。
ランプの明かりが一つ、木々の合間から近づいてきた。
「サーフィ、心配ありませんよ。」
ヘルマンがそっと、サーフィの腕を押さえる。
布地越しに触れた低い体温に、ドキリと心臓が跳ね上がった。
今は、そんな事を考える場合ではないのに……。
「時間通りですね、バーグレイ殿。あとは手はずどおり、お願いいたします。」
ヘルマンが、近づいてきた明かりに声をかける。
足音の調子から、なんとなくそうではないかと思ったが、やはり現れたのは、女性だった。
「お任せ下さい。」
赤い巻き毛にターバンを巻きつけた、ジプシー風の女性は、生真面目に答える。
ソフィアはもう、全て了解済みなのだろう。驚く様子も無く、鷹揚に頷いた。
「彼女はアイリーン・バーグレイ。隊商の首領で、何でも運んでくださいます。」
ヘルマンがにこやかに紹介し、手はずを簡単に説明してくれた。
もうそろそろ、イスパニラ軍の侵攻が、付近の砦に発見され、王都まで知らされる頃だという。
どのみちこんな時間では、最初から王都を取り囲む城壁の門は閉ざされている。
だが、伝令と付近の住民達を城壁内に避難させるために、一度は門をあけなくてはならない。
そのすきに、バーグレイ家の馬車で城壁を突破しろ、という話だった。
サーフィの役目はもちろん、兵たちの制止から、馬車を守りきることだ。
「どうしようもない事態以外は、兵を殺してはいけません。戦意を喪失する程度に、脅すだけです。」
ヘルマンは、その点を特に強調した。
「シシリーナの国民に、大した被害はでなかった、というのが、あとあと重要になります。圧倒的な実力差があってこそ、出来る芸当ですよ。できますね?」
心から焦がれ愛し、憎もうと思っても憎めなかった師が、まっすぐにサーフィを見つめて言う。
『できますか?』ではなく『できますね?』と言ってくれた事が、嬉しかった。
「はい!」
たとえこの方が誰も愛せず、自分を抱いたのは彼の都合だったと言ったとしても、かまわない。
彼はサーフィを自由にしてくれ、母の代用品でなく、サーフィ自身を欲してくれた。
その事実は変わらない。
そしてもう一つの事実も……
私は、ヘルマンさまを愛している。信頼に応えたい。
ヘルマンは満足げに頷き、今度はうってかわった、きさくな声音で、アイリーンに話しかけた。
「アイリーン。彼女が、以前お話した、君に推薦したい人材です。」
「私を推薦?」
アイリーンのこげ茶色の目が、品定めするようにじろじろとサーフィを眺める。
「なかなか使えそうな面構えだし、旦那の推薦なら、疑う余地はないけど、規則だからね。審査はさせてもらうよ。」
こちらも、先ほどのビジネスライクな会話とは、まるで調子が変わっていた。
「ところでお嬢ちゃん、吸血姫ってのは、呼称だろ?」
その呼び名に、ギクリとサーフィの背が強張る。しかし、アイリーンは続けてあっさり言った。
「ヘルマンの旦那から、もう血は必要ないって聞いてる。それに、あんまり気持ちいい呼び名とも思えないね。なんて呼ばれたい?」
「サーフィ、とお呼び下さい。」
サーフィはあわてて一礼し、名乗る。
ホムンクルスであるサーフィに、家名は無い。
サーフィ。それだけだ。
「それじゃサーフィ。今夜の仕事で合格点をやれたら、正式にうちの護衛として雇うよ。移動式の隊商暮らしだが、衣食住も完備。もちろん家事は当番制だがね。」
「え!?」
唐突な話に、思わず振り向いてヘルマンの顔を見上げる。
喰えない男は、ニヤニヤ笑って見返した。
「行き当たりばったりは感心しません、と言いましたがね。永久に家出を止めるように言った覚えはありませんよ。」
「ヘルマンさま……。」
「どうせなら、徹底的に準備して、笑って出て行くものです。」
思わず刀を握り締めて、サーフィは俯く。
ヘルマンの顔をこのまま見ていたら、また泣き出しそうになってしまった。
「おや、うちじゃ不満かい?」
「い、いいえっ!とんでもございません!」
アイリーンに向かって、お辞儀する。
「合格点をいただけるよう、精一杯務めさせて頂きます。」
「フフン、たいした自信だ。楽しみにしてるよ。」
アイリーンが、ヘルマンを見てニヤリと笑う。ヘルマンも、不敵に笑っていた。
「当然です。僕の最高傑作ですよ。」