白銀の獣、についての記述。-3
「そんな!」
それでは、シシリーナという国そのものがなくなるというのだろうか?サーフィの脳裏に、馬車から見た街の光景が広がる。
連れだって、楽しそうに町を歩いていた人々も、大勢殺されるのだろうか?
ソフィア王妃は、サーフィの表情から、気持ちを汲み取ったらしい。
「イスパニラの誇りにかけ、一般市民に血を流させる事はせぬ。シシリーナ国がなくなるわけでもない。安心するがいい。」
高貴で気高い王妃は、あでやかに微笑む。
「父は、最初からそのつもりで、わらわをシシリーナへ嫁がせたのだ。」
「イスパニラ王が……。」
「この国で人民の支持を獲得し、宮廷の弱点を掴み、夫から国を奪って女王となれと命を受け、わらわは嫁いできた。」
「……。」
「シシリーナ女王となって凱旋するか、惨めな反逆者の躯となって送り返されるか。わらわがイスパニラの地を再び踏めるのは、どちらか一つじゃ。」
ソフィアの告白に、言葉もでなかった。
「我が父王にとっては、娘も政治の駒にすぎぬ。」
さらりと、ソフィアは己の運命を口にした。
「姉もそうであった。何度も他国の王家に嫁がされ、しまいに心を壊し、塔から身を投げてしまった。」
「あ……。」
ソフィアの姉が亡くなっているのは知っていたが、くわしい死因までは公表されていなかった。
自殺などというスキャンダルを嫌った王家が、隠したのだろう。
「わらわとて、この城に来てから何度、自害しようと思ったかわからぬ。」
アーモンド型の瞳に憂いを宿した王妃の顔を見て、サーフィは胸が痛くなった。
心のどこかでいつも、自分だけが不幸を押し付けられたと思っていた。
けれど、いつも毅然と見えていたソフィアも、不安でないはすがなかったのだ。
親の命令で初対面の夫に嫁がされ、頼るものもいない異国の城で、国の乗っ取りに画策しろなどと、普通なら耐えられない。
「しかしな、この無礼者に鼻で笑われて、思いとどまったのだ。」
ジロリと、ソフィアが剣呑な視線でヘルマンを睨む。
「少々、もったいないと思いましてね。」
まるで意に介さず、ヘルマンが微笑む。
「ヘルマンさまが?」
「この男は、どうせ捨てる命なら自分によこせと、ふてぶてしくも要求したのだ。」
剣呑な視線を向けつづける王妃に、ヘルマンが苦笑した。
「無料奉仕しろとまでは、申しませんでしたよ。随分と、貴女の御用もお聞きいたしました。」
「当然であろう。貴様のおかげでわらわは、侍女たち全員の前で、『サーフィにだけは夫を奪われたくない。カダムがサーフィに手出しできぬよう、見張ってくれ。』などと、心にもない泣き言を言う羽目になったのだ。」
「――――っ!!」
「他にも、大国の娘という立場を笠にきた恐妻となって、カダムがそなたへ手出する機会を与えないよう、あれこれ命令しろなどと……まったく、図々しいにも程がある。」
足元が、またひっくり返った気分だった。
考えてみれば、カダムがしきたりなど、バカ正直に守るはずは無い。
サーフィの胸が膨らみ始めた頃から、すでにそういった目で見られてはいた。
しかし、いつも何かしら邪魔が入っていたため、ぎりぎりで一線を越えずに済んでいたのだ。
あれは、運が良かっただけだと、ずっと思っていた……。
「まぁ良い。いくら男が権力をふりまわそうと、結束した女たちの敵ではないと証明できて、胸がすいたわ。」
フン、とソフィアは形の良い鼻を上に向ける。
「で……では……私を、その……憎んでおられたのでは……」
それ聞くと、ソフィアの顔が優しげにほころんだ。
サーフィが初めて見る表情だった。
「いいや。わらわはいつも、孤独と戦うそなたの姿から、勇気を貰っていた。」
「私の……」
「侍女達には、そなたを本気で憎んでると思わせたので、辛い目にあわせてしまったのう。すまなかった。」
「とっ、とんでもございません!」
「ヘルマンに要求されたからだけではない。そなたのくじけぬ姿勢に、感服した。」
そして、表情をきりっと改める。
「だからこそ、そなたを護衛に雇いたい。」
「王妃さま……」
ルージュの塗られた魅惑的な唇が、美しくつりあがる。
「すでに、わらわに味方するシシリーナの家臣は十分におる。わらわの『元』夫は、寵姫の心一つつかめない程、人望のない男だったのでな。たやすかったわ。」
ヘルマンが苦笑する。そして、片目を瞑った。
「サーフィ、ベッドの下は見ましたか?」
「いいえ……。」
慌ててベッドの下を覗き込み、細長い布の包を見つけた。
中身は、サーフィの刀だった。