君の一番欲しい物。についての記述。-5
サーフィが走り去るのを、ヘルマンは呆然と見送った。
『自由が欲しい。』てっきり、そう言いたかったのだと、思っていたのに……。
白衣を黒いコートに着替え、ヘルマンはランプを持って地下室への階段を降りる。
仕掛け扉をくぐって地下道を歩き、三十分後には、誰にも見咎められることなく、城下町の外れに出ていた。
大通りから少し離れたこの地区は、交易に立ち寄る商人達用の宿屋が多い。馬や荷馬車を置ける、広い敷地を確保できるからだ。
その一軒に、ヘルマンは入っていった。
この宿は、それほど高級というわけでもないが、それなりに快適な寝床と、旨い料理を提供するので、人気がある宿だ。
なにより、密談を盗み聞きされない程度に壁も厚い。
そして数刻後、ヘルマンは宿の一室にて、仕事の最終的な打ち合わせを済ませた。
「――――こちらの準備は万端です。全て指示通りに手配いたしました。」
差し向かいの椅子に座っているのは、ハスキーな声でハキハキ話す、赤毛の女性だ。
ブラウスの上に、薄いチュニックを何枚か重ね着し、髪にはターバンを巻いている。加えて足元は茶色い革のサンダルという、ジプシー風のいでたちが、とてもよく似合っていた。
日焼けした顔には、親しみやすさと豪快さをいっぱいに含んだこげ茶色の目が輝いている。
どことなく賢い猟犬を思わせる彼女は、アイリーン・バーグレイ。
ヘルマンが知りうる限り、最高にやり手の女商人だ。
面倒見のいい姉御肌で、そろそろ中年にさしかかるが、むしろ若い頃より魅力が増して見える。
彼女は未亡人だが、一人息子もいるし、いまの所再婚する気はないらしい。
バーグレイ家は、決まった国籍を持っていない。頑強な荷馬車の隊商(キャラバン)で、大陸中をめぐって荷運びをして暮らしている。
現当主のアイリーンは、先代の一人娘だ。
女性が今ひとつ軽んじられるこの大陸で、女当主という事で、継ぐときに色々と揉め事があったが、今では彼女の実力が、周囲を十分に黙らせている。
品物の運搬を主にするバーグレイ家だが、大陸中に独自のネットワークをもち、情報収集にも長けているため、少々機密な仕事をする場合も多い。
特に、フロッケンベルク王家と錬金術ギルドからは、大変重宝されているため、ヘルマンもバーグレイ家とは、古い付き合いだ。
「ご苦労様です。バーグレイ殿。」
ヘルマンはそう言って、フロッケンベルクの使者としての話をしめくくる。
そして今度は、ヘルマン・エーベルハルト個人として、尋ねてみた。
「ねぇ、アイリーン。そういえば、君とは随分長い付き合いですね。」
「なんだい?急に。」
アイリーンも、堅苦しい言葉使いから、普段のざっくばらんな口調になった。
煙管を取り出し、火をつける。
「そりゃ長いさ。先々代の時から、フロッケンベルクはうちのお得意さまだし、旦那には、あたしのおしめも替えてもらった。」
ふぅ、と紫煙を吐く。
「フフフ、君ほど鳴き声の大きかった赤ちゃんは、そうそうお目にかかりませんよ。」
アイリーンとは年に数回、必ずこうして会っている。
この十八年間、ヘルマンも所用のために何度か帰国はしたが、彼女がいたからこそ、故国への緊急な連絡も、スムーズかつ安全にできたのだ。
ヘルマンが親しくしている順に名をあげるなら、アイリーンは間違いなくトップから五本指に入る相手だった。
とびっきりの笑みを作って、尋ねてみた。
「僕を、愛してくれます?」
「――――――――――――は?」