吸血姫のささやかな夢、についての記述。-4
その時、サーフィはふと異変に気づいた。
馬車のスピードが、やけに上がったような気がしたのだ。
「おいっ!」
騎士の一人が、御者に厳しい声を放った。
「なぜ、そんなに馬を急がせる!?」
御者は答えない。それどころか、更に馬へとムチをくれ、スピードを上げ続ける。
「馬車を止めろ……うわっ!?」
怒鳴りつけた騎士は、慌てて馬上で身をそらした。
御者が隠し持っていた短剣はギリギリで外れ、騎士のマントを切り裂く。
大きく体勢を崩した騎士は、落馬こそ防いだものの、混乱した馬はその場からもう走ろうとせず、完全に取り残されてしまった。
御者は無言のまま、素早く今度はムチを持ったほうの手を動かした。自分へ斬りつけようとしていた、もう一人の騎士の馬を、激しく鞭打つ。
悲痛ないななきをあげ、驚いた馬は、騎士をのせたまま、見当違いの方向へと走り出した。
「こらっ!戻れ!!」
主人の静止も届かず、こちらの馬も、馬車から遠ざかっていく。
「なんだっ!?」
うろたえるカダムのわきから身を乗り出し、サーフィは馬車の窓から、遠ざかる騎士に向かって叫んだ。
「王宮にすぐ連絡を!それまで陛下は、私がお守りします!」
その声を聞いた御者が、小バカにするように喉を鳴らして笑った。
暴走する馬車は、市場の中に飛び込んでいく。
王家の馬車は、ゆったりした乗り心地を保つために、必然と大きな車体をしており、華やかな飾りで更に道幅を必要とする。
だから普段なら、市街地でもメインの大通りしか通らないのに、それが突然、所狭しと商品の立ち並ぶ市場に乱入したのだ。
驚いた民衆が、悲鳴をあげて必死に馬蹄を避ける。
二十四個の馬蹄と六つの車輪が、野菜や魚を踏み荒らし、積み上げた木箱を崩して籠をこわすが、御者は気にする様子もない。
「サーフィ!なんとかしろ!」
座席にしがみつきながら、青ざめたカダムが、サーフィに怒鳴る。
普通に走る分には快適そのものの馬車内も、さすがにこの暴走では、巨人にふりまわされた小箱に入っているようなものだ。
「いま少しご辛抱を、陛下。」
冷静に状況を観測しながら、サーフィは答える。
身体のバランスを保ち、片手でいつでも抜けるように刀を握り締める。
突然のアクシデントに驚いた頭の芯が、冷たく冴え渡る。どんなときでも、焦ってはいけない。
状況を見極め、よく観察し、急所を狙って、確実に喰らいつけ。
ヘルマンに、繰り返し教わった言葉を、呪文のように頭の中で唱える。
今日の御者は、初めて見る顔だった。
いつもの御者が体調を崩したため、臨時雇いだと言っていたが、嘘であるのは間違いない。
身代金目当ての誘拐か、それともカダムを恨んで殺したがっているかまでは解らないが、さっきの鮮やかな手つきから見て、こういった事に、そうとう手なれているらしい。
どのみち今すぐ馬車を飛び降りたら、大怪我をするだけだ。それより、こんな目立つ乗り物で、いつまでも逃げ続けるわけがない。
近いうちにどこかで、必ず止まるはずだ。
サーフィの思ったとおり、市場を通り抜けた馬車は、しだいに人の少ない道へと入り、崩れかかった廃屋の立ち並ぶ空き地で、やっと止まった。
港が近いのか、かすかに潮の香りがする。といっても、そう気持ちのいいものではない。
乱雑に積み上げたゴミの山から漂う、魚の腐った生臭い匂いと入り混じり、はっきり言って悪臭だ。
馬車が止まると、廃屋からゾロゾロと数人の男達が出てきた。全員が手に剣や斧を持っている。
いずれも屈強な肉体の男だったが、市場や港の労働者とは、明らかに雰囲気の違う、人相の悪い連中だった。
「陛下は、中でお待ちを。」
完全に馬車を取り囲まれる前に、サーフィは自分から、さっさとドアを開けて降りる。
華奢な身体とドレスの装いに不釣合いなサーフィの刀を見て、男の一人がからかうように口端をゆがめた。
「噂の吸血姫か?」
「左様にございます。」
礼儀正しく、サーフィは答える。
「こりゃ驚いた!どんなおっかねぇバケモンかと思ったら!」
大笑いして、男は隣りの仲間と肩を叩きあった。
「はっはっは!!国王さまの身代金をふんだくるだけでも、大した稼ぎだが、ついでにもう一稼ぎできそうだ。」
「ああ。お嬢ちゃんの見た目なら、高く買ってもらえるぜ。俺が保証してやるよ。」
ニヤニヤ下品な笑いを浮かべながら、男がサーフィに近寄ってきた。
「ご大層な刀なんぞ抱えちまって。どうせロクに使えもしねーだろ?」
「おっしゃる通り、私はまだ未熟者でございます。」
素直に認め、サーフィは刀を抜き放つ。彼女の髪と同じ色の、白銀をした刀身が、光を反射して煌いた。
「ですから、申し訳ございませんが、手加減はできかねます。我が師に、仕事はきちんとこなすと約束いたしましたので。どうぞご容赦を。」
「はあ!?わはははは!!聞いたか?ご容赦をだとさ!」
周囲の男達からも、いっせいに嘲笑の笑いがあがる。
「ひっひ、それじゃぁ吸血姫さま。俺たちも、ちょいとばかりご無礼致しますが、どうぞご勘弁くださいよ。」
男が大またに近づき、サーフィへと手を伸ばした……。