孤独な少女についての記述-5
黙って俯いていたままのサーフィを、あらためて眺めた。
非常に美しい子だ。透明感のある肌はみずみずしく、白銀の長いまつげと桜色のぷっくりした唇が、それに彩をそえている。
全てのパーツが、可愛らしい顔の絶妙な位置に収まっていた。
それに外見だけでない。
ヘルマンは彼女に語学も教えているが、とても飲み込みがよく賢いし、素直な性格だ。
血を飲むという異質さえなければ、間違いなく誰からも愛される少女になっていただろう。
「はぁ……。」
思わず、ため息をつく。
なるほど、カダムはサーフィが生きるのに必要な生き血を与える恩人だ。着る物も食べる物も、全て最上級の物を与える。
今着ているドレスはもちろん、靴もその他も全て、熟練の職人によるオーダーメイドだ。
細部までいっさいがっさい、極上の高級品のみでこしらえたビスクドールを思わせる。
自由に外出すら許されない籠の鳥とは言え、傍から見れば、彼女は何不自由ないお姫様として扱われている。
しかしヘルマンは、彼女が本当に欲しい物が、なんとなくわかる。
彼女が欲しいのは、かしづいて身の回りの世話をしつつ、影で彼女をバケモノと罵るメイドではなく、心から仲良くしてくれる友人。
兵たちからの形だけの敬礼でなく、自然できさくな挨拶。
贅沢な衣服や、彼女に脅えながら教える家庭教師より、気楽な衣服と友人と通う学校。
サーフィの母へ対する歪んだ執着と欲望に満ちた愛ではなく、彼女自身への……。
そんな、ありふれたものが欲しいのだ。この子は。
サーフィから視線を外し、今度は居間を見渡す。
彼女は、ときおりわずかな自由時間が手に入ると、ここへおずおずと尋ねてくる。
そして、入るように言われると、とてもほっとしたような笑顔を見せる。
迷惑だと、ひとこと言えば、きっともう来ないだろう。それがわかっているのに、ヘルマンは言えない。
それどころか、今では隣室の書斎にまで、サーフィのために、椅子と小さなテーブルを用意してある。
彼女はいつも、ヘルマンが薬品を調合したり図面を描いたりするのをおとなしく見ているだけで、邪魔をするわけでもないのだから、かまわない。
そう、自分に言い訳して、椅子とテーブルを置いた。
そして買い物にいけば、彼女の喜びそうな菓子をついでに買い、そのテーブルにさりげなく置いてしまう。
彼女好みの銘柄の紅茶も、切らす事のないよう気をつけている。
お菓子も紅茶も、たいした事じゃない。
やってもやらなくても、どうでもいいから、差し出しているだけ。
そう、自分に言い聞かせる。
けれど……本当のところ、あの書斎はヘルマンにとって聖域も同然だ。
もちろんそれだって、いざとなれば笑って捨てられるが、『他人をやたらに踏み込ませたくない。』程度には思っている。
少なくとも、サーフィ以外を入れた事はない。
これからもきっと、彼女以外は許可しない。
―――――――――――――何・を・やっているか！
思わず頭を抱えて、テーブルにつっぷして唸った。
「あ、あの……ヘルマンさま？何か……」
「…………いえ。僕の個人的な悩みです。」
仕方ない。納得いかなくとも、とにかくそうしたいのだから、仕方ない。
「仕方ありません。先ほどの質問に答えられるまでは、ここにいる事にしますよ。」
「本当ですか！？」
サーフィの表情がぱっと喜びに輝く。
「サーフィ、僕は……」
「はいっ！ヘルマンさまは、嘘をつきませんっ！」
「解っているなら、結構ですよ。」
屈託のないサーフィの笑顔を見ているうちに、いつのまにか自分まで、いつもの作り笑いではなく、自然な笑みを浮べている事に気づいた。
それを誤魔化すように、あわてて厳しい口調で付け加える。
「その代わりと言っては何ですが、お仕事はきちんと頑張ると、約束してくださいね。」
「はい！約束いたします！」
サーフィが帰った後、ヘルマンは書斎に入った。
きちんと片付けられている机の上に、一通の封筒がある。蝋の封印までしてあり、後は郵便屋に出すだけだ。
錬金術ギルドのマスターへ、任地の交代を願い出る手紙だった。
小さくため息をついて、ヘルマンは手紙を破り捨てた。
嘘をつくわけにはいかない。それは彼の誇りだから。
「……なんだって、あんな事を言ってしまったんでしょうね。」
椅子に腰掛け、天井を眺めながら、独り言を呟く。
机の引き出しから、手鏡を取り出して眺めた。百年以上も変わらない己の顔が、つるりとした鏡面に映る。
ヘルマンも産まれた時は、ごく普通の人間だった。
彼が不老不死になったのは、若い頃とある禁呪を使ったせいだが、不老不死に特別魅力を感じていたわけではなかった。
そもそも、その魔法薬はとんでもなく高リスクをともなう。成功すれば不老不死になるが、生き残る確立は百分の一という代物だった
それでもある事情から、彼はその薬を造り、飲んだ。
そしてたまたま、自分の命をチップにした賭けに勝った。
それだけだ。
不老不死の噂を聞いて、ヘルマンを尋ねて来た人間も数多くいた。
ヘルマンは彼らに、薬の作り方と効能、リスクまで全て率直に説明した。
百分の一のリスクにしり込みして諦めた人間もいれば、挑んで死んだ人間もいた。
それについて、特に何とも思わなかった。
自己責任で思うようにやったのだから、本望だろう。
死に物狂いで生を渇望しながら死んでいった彼らは、砂を食むように無感動に生きているヘルマンが永遠を得たのを、理不尽と思うかもしれないが、しかたない。
世界はいつだって、理不尽で不公平だ。
鏡を引き出しに放り込んで、また独り呟く。
「あの質問に、答えられると？」
答えられるわけが……ない。
誰かを愛した事なんか、一度だってないのだから。