孤独な少女についての記述-3
「すみませんが、君に僕を束縛する権限はありませんよ。」
できるだけ冷たい声で、ヘルマンは告げる。
もう、こんな事は終わりだ。この国に来たのは、あくまで仕事。図々しい子どもの機嫌を取るためじゃない。
まったく、イライラする。
どんなに酷い言葉で侮辱する相手にも、ここまで苛立った事はない。
カダムの治世も安定してきたし、もう他の錬金術師に代わってもらっても問題はないだろう。
この心臓の奥を揺さぶる少女の前から、さっさと立ち去りたい。
「っ!で……でしたら、私も連れていってください!私を造ったのは、ヘルマンさまでしょう!?私は、ヘルマンさまと一緒にいたいのです!」
「……はぁ?」
「皆……私を嫌います。私が血を飲むと、醜く恐ろしいバケモノだと……。」
赤い瞳に、じわりと涙が浮かび上がる。
「はぁ、そうですか。」
「ヘルマンさまだけは、私を吸血鬼やバケモノと言いませんし、恐れません。」
さりげなく、視線をそらした。不愉快なもやもやした感覚が、身体に広がる。
サーフィは毎日、使用人から採取した血を一口飲む。そうしなければ、三日と持たずに死ぬからだ。
カダムは国民に、サーフィが血を飲む事を、隠そうとしなかった。
むしろ積極的に教え、時にはサーフィが血を飲む姿を、わざと見せたりした。
『吸血姫』の噂またたくまに広がり、もはや国中の人間が知っているといっても、過言ではない。
そして噂には尾ひれがつきものだ。
やれ、何十人もの子どもを毎日殺して血を飲んでいるとか、若い娘を片っ端から拷問にかけて生き血を搾り取っているとか……。
尾ひれ所か、背びれ胸びれまで、しっかりついている。
そんな彼女を、城にどうどうと囲っていられるのは、カダムが教会と多額の裏取引をしたからだ。
もうはるか昔から、シシリーナ国の教会組織は腐った膿が溜まり、掃き溜めも同然だった。
修道服を着て看板に神の姿をかかげているだけで、やっている事の実情は、ゴロツキを集めた裏組織と大差ない。
それでも前王の時には、度の過ぎた不正が、いくぶんかは収められた。しかしいまや、再び腐った手を国中に伸ばして、好き放題だ。
よって、魔物退治として、無実の人間をしょっちゅう火刑に処している教会が、表向きには『罪深い吸血鬼に情けをかけ、更正させる。』という名目で、サーフィを見逃すという、奇妙な事態になっているのだ。
そんな教会がどういおうと、人々の嫌悪は消えない。
さらに悪い事に、ゾンビ・魔女・人狼など、あまたにいる“怪物”の中、この国では吸血鬼というのはもっとも卑しいと嫌悪される存在だった。
死をもっても償えない罪を犯し、未来永劫、神から見捨てられた人間の成れの果てと、信じられていた。
彼女が吸血姫と知らず、一緒に遊んだ使用人の子どもや、親切にした使用人も、それと知ったとたん、手のひらを返して、彼女から逃げ去っていった。
城内…いや、おそらく国中で、サーフィを避けないのは、ヘルマンとカダムだけだ。
サーフィを造れと言われた時、彼女がこうした仕打ちを受ける事を、ヘルマンは予想できていた。
ただ、一緒に迫害しろと言われるのは、まっぴらごめんだ。
別に慈悲深い気持ちからではなく、血を飲む事について彼女を批難するのは、おかしいと思うから。それだけ。
彼女に対して感じる、表現しがたいイライラ感は、血を飲む事とは、まるで関係ない。
使用人から血を採取し、サーフィに与えるのは、ヘルマンの仕事だったが、おぞましいともなんとも思わない。
血を提供した者には、それなりの賃金が支払われるし、注射器でごく少量取るだけだ。
彼らは死ぬわけでも、ひどい苦痛を受けるわけでもない。
関係ない他の者たちまで、一緒になってサーフィを糾弾するのは、尚更おかしいと思う。
しかし、サーフィを非難する者たちは、何の疑いも罪悪感も覚えない。
立派な大義名分をふりかざし、自身では何も考えず、ただ集団の輪に加わって叫ぶ。
『自分達は清く正しい。神に背く吸血鬼に罰をくれてやっているのだ。』
吸血姫への批難は、最初は純粋な恐怖だったかもしれない。
だが今では単なる娯楽だ。
正義という砂糖衣をかけて、他人の不幸を夢中になってむさぼっている事に、気付いてもいない。
それに対し、サーフィは何も言い返さない。
幼い頃から、繰り返し無数の言葉の暴力に踏みにじられ、彼女の自尊心はボロボロになっている。
けれど、原因はそれだけではない。
彼女自身が、血を飲む事を恥じているのだ。