F-7
(哲也君、楽しそうだわ)
雛子は、そっとその場を離れて職員室へと戻って来た。
すると、林田が空腹に耐えかねて、腹を押さえて机に突っ伏している姿を目にしたのだ。
「……じゃあ、貴女は毎日、あの子の為に弁当を余分に作っているんですか?」
「話せば長くなりますけど、そういう事になりますね」
「どうしてです?そんな身銭を切ってまで」
「確かにそうですが……これは突き詰めていけば、村全体の問題ですから」
雛子の言葉はここで途切れた。林田も、これ以上は訊けなかった。
「ところで、大石先生って、誰なんです?」
「えっ?何です」
林田は突然、話題を変えた。
この、居たたまれない空気を変えたい思いから。
「ほら、大石先生ですよ!知ってるのが当然みたいに言ったでしょう」
※「ええと……二十四の瞳って映画はご存知ですか?」
「ええ。観てはいませんが、大そう有名な映画らしいですね」
「貴方ッ!教師のクセに観てないんですかッ」
先程までの重苦しい雰囲気は何処えやら。酔いも手伝ってか、雛子は信じられないと言った様子で奇声を挙げた。
※「小豆島の分教場に赴任する“おなご先生”こと、大石先生と十二人の生徒逹との交流を描いた素晴らしい映画ですッ」
林田はがっかりした。
かつて、この分校に赴任した有名な教師かと思いきや、映画の中の役だったとは。
しかし、言い出しっぺは自分である。ちゃんと聞いていないと機嫌を損ねてしまう畏れがある。
「そんなに素晴らしかったんですかァ」
林田がそう訊くと、先程までの剣幕が嘘の様に、雛子は嬉しそうに笑っている。
※「映画は昭和三年から二十一年までの話で、師範学校を卒業した大石先生は、小豆島の岬の学校に赴任した初日、洋服姿で自転車に乗って颯爽と分教場に現れるんです。
その姿が凄く格好良くてね。私も先生になったら、あんな風になりたいと思ったんです!」
「じゃあ、分教場という願いは叶ったじゃないですか」
そう振られると、雛子は難しい顔になった。
「でも、憧れと現実の違いを思い知りました」
「それで?映画の続きは」
※「……それで、入学したての一年生を受け持つんですが、子供逹が悪戯で作った落とし穴に引っ掛かって、アキレス腱を切る大怪我を負って暫く学校を休むんです。……先生と子供逹で記念写真を撮って……」
微に入り細に入り、映画の、話のすじを語る雛子だが、興味の失せた林田にすれば苦痛でしかない。何時しか、眠気も伴って来た。
※「……先生は結婚を機に一度は教師を辞めるんですが、やがて戦争になって生徒逹ばかりか、先生の旦那さんや娘さんまで亡くして……」
話の調子に合わせて、時折、船を漕いでいた林田の耳に、突如、雛子の声が聞こえなくなった。